亀山郁夫/ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光
(岩波書店 2018年)



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ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光

ロシア文学者・亀山郁夫(「カラマーゾフの兄弟」の翻訳で有名)によるドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906〜75)の評伝。
分厚いです、厚さ3.5cmもあります。
装丁は堅牢で表紙は堅く、角っこで殴られたら凶器になります。

それにしても、スターリン時代のなんという恐ろしさ!
ショスタコーヴィチは天才作曲家として順調に滑り出したものの、自信作であるオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1934)を
スターリンに「音楽ならざる荒唐無稽」と非難されどん底に突き落とされます。
党に批判されると曲は演奏されず仕事は激減、一万二千ルーブルあった月収が二千〜三千ルーブルに落ち込んだと言いますから
月収60万円のリッチマンが10万や15万になるようなもの、つらいですねこれは。
収入が減るだけならまだしも「反革命分子」と見なされれば待っているのは逮捕・拷問・処刑の三点セット。
ショスタコーヴィチと親交があった人では、音楽に造詣深い教養人のトゥハチェフスキー元帥、歌劇上演で世話になった演出家メイエルホリドなどが粛清されました。
「次は自分の番かも・・・」と生きた心地すらしなかったことでしょう。

 作曲家V・バースネルは、ショスタコーヴィチから聞いた話として次のように伝えている。
 それによると、トゥハチェフスキーのもとを訪ねてから数日後、彼は、ボリショイ・ドム(レニングラード管理局内務人民委員部)に呼び出され、
 そこで「同志スターリンの殺害の計画」を耳にしたのではと尋問された。
 ショスタコーヴィチが頑強にこれを否認すると、担当の取調官Zから翌日午前十一時に再出頭を求められた。
 そして、翌日出頭すると、長時間待たされたあげく、別の職員からこう告げられた。「取調官Zは昨日逮捕されたので、帰宅してよい」
 (141ページ)

ここ、笑うところなんでしょうか・・・ハッハッハ(←ひきつってる)。

しかしさすがはショスタコーヴィチ、2年後には「交響曲第五番」(1937)が国内のみならず外国でも絶賛され失地を回復、
その後スターリン賞を授与され、ソ連を代表する大作曲家として別荘や特別俸給を与えられます。
ところが1948年「ジダーノフ批判」によりふたたび”形式主義者”として告発されどん底へ。
共産党への露骨なゴマすり作品であるオラトリオ「森の歌」(1949)でまたもスターリン賞を受賞しなんとか一息つく・・・。

ショスタコーヴィチは粛清の恐怖におびえ、体制に迎合するような作品を発表しつつ、
自らの主張を楽曲の中に暗喩的に忍ばせる「二枚舌による抵抗」で、せめてものストレス解消というか溜飲を下げていました。
たとえば「交響曲第七番」の「戦争のフレーズ」は、レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」のなかの「祖国を忘れさせてくれる」と歌われるフレーズを元にしたものだったり、
「交響曲第五番」にはビゼーのカルメン「ハバネラ」の「気をつけろ!」と歌われるフレーズが何度も登場したりします。

重苦しい話ばかりではなく、ショスタコーヴィチのサッカー狂ぶりや、意外に華やかな女性遍歴なども。
弟子筋のウストヴォルスカヤ、ヴァインベルクなどもちゃんと登場します。
詳細な楽曲分析もたいへん興味深く、交響曲だけでなく、歌曲や弦楽四重奏曲でも裏の裏を読む分析をしてくれます。
巻末の参考文献を見ると、ロシア語の文献はもちろん、音楽分野の専門的な論文も山ほど参照していて圧倒されます。
この人、文学者であって音楽学者じゃないですよね・・・。

質的にも量的にも読み応えたっぷり、読みおえるのに一か月くらいかかりました。
礼賛でも批判でもない客観的で冷静な描き方、それでいて著者の考えもしっかり盛り込まれているところがホントに素晴らしいと思います。
読みながら曲をいろいろ聴くことで「自分なりのショスタコーヴィチ像」を作りあげることができました。

(2019.02.16.)

弦楽四重奏曲第8番より


歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」より


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