青柳いづみこ/グレン・グールド 未来のピアニスト
(筑摩書房 2011年)
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すでにさんざんに論じられ、称賛され、批判され、偶像視され、アイドル視され、骨までしゃぶりつくされた感のあるグレン・グールド(1932〜1982)。
クラシック・アーティストで、このような存在は唯一無二でしょう。
ただ考えてみると、第一線で活躍する現役ピアニストがグールドについて正面からがっつり語った本は、いままでなかった気がします。
日常的にステージに立ち聴衆の前で演奏するピアニストや、「演奏家の本分はステージにあり」と思っている演奏家は、
コンサート・ドロップアウトしたグールドのことをどう思っているのでしょう。
しかしまあ、プロが同じ分野のプロを正面から語るのは難しいでしょうね。
手放しで褒めてしまっては、素人ファンと同じじゃんと言われるし、批判的なことを言えば、ひるがえってじぶんはどうなのと返される。
「彼は人前で弾くプレッシャーから逃げだした。にもかかわらず有名だ。
けしからん。 我々がどんな思いをしていると思っているんだ。苦しんでいるのはお前だけじゃないんだぞ。」(8ページ)
と、冗談交じりに開始されたこのグールド論は、おそらくすべての未発表ライヴ録音にまで耳を通し、綿密な調査研究を重ねたうえで
グレン・グールドという「真のロマンティスト」であり「音楽に取り憑かれてしまった天才的創造者」の姿をみごとに浮かび上がらせます。
「彼はクリエイターだった。再現芸術家とはそもそもそりが合わなかった。」(263ページ)
「ピアノという楽器は彼にとって役不足だった」(358ページ)
グールドは「ピアニスト」という枠に収まるような存在ではなく、超弩級の天才的芸術家・創造者であったことが、説得力を持って検証されていきます。
いっぽうで現役ピアニストならではの技術的・音楽的指摘も面白く、今後、この本を無視してグールドを語ることは、少なくとも日本では許されないでしょう。
さて、前回のエントリーで、長女がピアノ発表会でショパンのバラード第1番を弾く、という話をしました。
次女(中3)のほうは、ベートーヴェン「悲愴」の第1楽章を弾きます。
のんきなあの子にこのような威厳と重みのある曲が弾けるのかな・・・?
と心配したのですが、練習するうちにサマになってきまして、うん、なかなかいいんじゃない。
ところでグールドはこの曲、どんなふうに弾いてたっけ?
と聴いてみると、出だしはかなり普通。
重厚さと繊細さが同居する序奏部の均整のとれた美しさ、元気なうなり声も聞こえます。
と、主部に突入してびっくり、超ハイスピードのバカテク演奏。
こりゃすごいや、さすがはグールド!
発表会の参考にはならない、超個性的演奏でした。
でもグールドならこのくらい普通か。
よいこはまねをしてはいけません(というか絶対にできません)。
次女には聴かせないでおこう。 ひっくりかえって泡でも吹いたら困ります。
(2011.12.18.)
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