藤谷治/我が異邦
(新潮社 2011年)




Amazon.co.jp : 我が異邦

≪収録作≫
「我が異邦」
「ふける」
「日本私昔話よりじいさんと神託」



地下鉄に毒ガスが撤かれた1995年3月、わたしはアメリカへ発った。
明るく巨大なアメリカで、わたしは孤独を満喫した。
一生このままでいられるなら、どんなに幸福だろうとさえ思った。
ただ、孤独であることの僥倖とは別に、そこには「女」が絶対的に欠けていた―。
「孤独」と戯れ、あがき、さまよう男を描く3編。


K-POP大好き!の長女(高2)、
先日、東方神起やら少女時代やらBoAやらが出演するライヴに参拝のため
田舎から草をかき分け海越えて、はるばる東京ドームに巡礼に出かけました。

彼女にとっては初ライヴ。
大変楽しく、大コーフンしたそうです。

ライヴを堪能した翌日は、付添役のニョウボとともに
かねてから行きたかった東京のコリアン・タウン、新大久保へいざ出陣。
ものすごい人出だったらしいのですが、人混みかき分けながらパワフルに買い物を楽しんだもようです。
まったくわが子ながら、若さと物欲の塊のような元気娘であります。

いっぽう、ニョウボはぐったり。

 「つ、疲れた・・・。 とくに新大久保、いったいなんなのあれは。
 韓国語やらハングル文字やらキムチの匂いやらが飛び交って、まるで異国のようだった!」

ふだん田舎でクマやイノシシとともに野山を駆け回っている我々にとって(←嘘)
東京の人混みはそれだけで異国ですから、まさに異国がニバイ。
くたびれ具合も半端ない様子。

長女は「またお金貯めて行きたい!」と意気盛ん。

ニョウボ「今度はひとりで行ってくれ〜」


さて異国と言えば、藤谷治さんの最新作「我が異邦」
一冊ごとにがらりと作風を変える藤谷さん、今回は「私小説風純文学」とでもいうのでしょうか。
ワタクシ「純文学」読むのは久しぶり、なぜか緊張します、どきどき。
まして「私小説」なんて、大昔に「吾輩は猫である」読んで以来だぞ(←たぶん何か勘違いしている)

3つの中短篇を収録、語り口・切り口は異なるものの、
すべて作者自身の投影と思われる主人公が「異国」または「異界」をさまよう話で、一冊の本としてのまとまりが綺麗。
3つの楽章からなる音楽というか、
不協和音が効果的に使われ忘れがたい印象を残す交響曲のようです。

「異国をさまよう」とはいっても、本当の外国は表題作「我が異邦」のアメリカのみ。
医学文献を複写する会社の社員がアメリカに派遣されるというのは、
「アンダンテ・モッツァレラ・チーズ」にも出てきた設定で、これは著者の実体験なのでしょうか。
知り合いもいない外国で自由なれど孤独に日々を送る主人公。
なにもないけれどすべてがある豊かな時間・・・・・ちょっとうらやましかったり。

ほかの舞台は、やみくもに列車でたどり着いた金沢とか、自分が住んでる東京の街だったりするのですが、
主人公はどこまでも孤独な異邦人として、さまよいます。

それはさまようというより、懸命に何かから逃げているようにも見えますが、
自分自身からはどうしても逃げることができない・・・というのが第2編「ふける」でしょうか。
緻密で詳細な現実描写の合間に、悪夢と不条理がすこんと割り込み、気持ち良い眩暈を誘います。

最後の「日本私昔話・じいさんと神託」では、
過去と現在・日本とアメリカ・現実と非現実が自在に交錯します。
ラストで、自分自身とおそらく何らかの折り合いをつけた主人公に共感とカタルシスを覚えた私。
読後感はなんだかさわやか。

純文学ではありますが(ありますがって?)読み物としてとても面白い一冊でした。


ところで私、先日東京に出張したおり、
夕暮れの銀座のど真ん中で道に迷ってしまいましたよ(←田舎者)
あのときの銀座は私にとって、世界中のどこよりも異邦であったのでありました・・・(←単に方向音痴なだけやん!)

(11.9.9.)


「本の感想小屋」へ

「整理戸棚」へ

「更新履歴」へ

HOMEへ