藤谷治/燃えよ、あんず
(小学館 2018年)



Amazon.co.jp : 燃えよ、あんず


癖の強い店主・オサムさんが経営する下北沢の小さな書店「フィクショネス」には、一癖も二癖もある客たちが集まる。
筋金入りのロリータ男、大麻合法を主張するヒッピー、大手企業に勤める根暗な美形男子、
そしてしょっちゅうやってくるのに本を買わずに何時間もおしゃべりしていく女子・久美ちゃん。
その久美ちゃんが、結婚後間もなく不幸に見舞われ、地方に去ってしまう。
十数年後、久美ちゃんがふらりと店に再来し、物語は動きはじめる。


藤谷治と言えば・・・。

あれは忘れもしない10年ほど前のいつだったか(←忘れとる)、「船に乗れ!」という小説を読んで、横っ面を張り飛ばされたような衝撃を受けました。
読後しばらくメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番とバッハのブランデンブルク協奏曲第5番を聴き倒し、
数か月後にはチェロのレッスンに通っている自分に気づいて驚愕したものです(記憶喪失かよ)。

そう、私は「船に乗れ!」を読んでチェロを始めたんでした。
決して主人公がチェロ弾いててモテモテだったので、あわよくばと思ったからではなく、純粋にチェロが弾きたくなったのです、ホントですってば!

東日本大震災の日の東京を舞台にした「あの日、マーラーが」も良かったな。
読後しばらく、マーラーの交響曲第5番を聴き倒したものです。

われながらわかりやすい人間です。

そんな藤谷治の最新作は「燃えよ、あんず」

 面白かった・・・!!

大枠はオトナの恋愛小説ですが、その中でさまざまな人生が重層的に交錯し、響き合い、化学反応を起こします。
著者が現実に経営していた書店を舞台にしていますが、ストーリーはフィクションだそうです(そりゃそうじゃ)。

彼女が経験した辛い別れ、彼の暗い生い立ち、じれったい胸キュン、店主夫妻の夫婦漫才、全てひっくるめてぐいぐい展開、
ふたりの恋を成就させるため、店主と常連客が力を合わせるクライマックスへ!
もう楽しいったらありません。

それでも単なるエンタテインメントではありません、やっぱりこれは文学です。
脇役に至るまでキャラクター造形はていねいで深く、リアリティたっぷりですが、決してありきたりではありません。
癖のある変人ばかりだけどラノベ的荒唐無稽さはなく、そのへんに実在しそうな等身大の「変人」たちが生き生きと呼吸し、活動します。
登場人物の心の動きも自然で、安心してストーリーの流れに入っていけます。

とくに、「人が不幸になるのを見るのが喜び」というねじくれた性格の美男子・由良龍臣がサイコー。
自分は矢面に立たず、小さな悪意でもってさまざまな「邪魔」をしかけているつもりなのですが、
すべては終盤で浄化・昇華され、「終わりよければすべてよし」、オッサンの汚れた心も洗われる幸せな境地に連れて行っていただきました。

そして、付録のようなエピローグ。
オハナシが大団円を迎えたあとで、唐突にある登場人物の人生が回想されます。
なんじゃこりゃ、と思いながら読んでいると、最後の最後で残った伏線しっかり回収して、真の終結へ。
いやこれふつうに感動するでしょ、なんつう心憎い構成ですか。

じつに「愛に満ちた小説」でありました。

なお、「読んでも読んでも『あんずちゃん』が出てこないなあ・・・」と思いながら読んだ私。
タイトルは室生犀星の詩にもとづいているそうで、『あんずちゃん』は出てきません、念のため。

 あんずよ
 花着け
 地ぞ早やに輝やけ
 あんずよ花着け
 あんずよ燃えよ
 ああ あんずよ花着け  室生犀星「小景異情」より

(2018.11.12.)


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現状維持とはそれなりに重労働である。
平板な日々が無為に積み重なったのでもない。
進歩や野心がなくても、日々には苦しみや悲しみ、喜びがある。
(89ページ)


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