藤谷治「船に乗れ!」ネタバレ&ツッコミ感想
「船底の隅をほじくれ!」



船に乗れ!〈1〉合奏と協奏 船に乗れ!(2) 独奏 船に乗れ! (3)合奏協奏曲
船に乗れ! T (文庫版) 船に乗れ! U (文庫版) 船に乗れ! V (文庫版)





2か月ほど前に読んだ、藤谷治「船に乗れ!」
この作品世界にすっかりとらわれてしまいました。

読んだあとに、きれいさっぱりなんにも残らない、胃もたれもしなければ下痢も便秘もしない小説が巷にあふれている今日この頃、
ことほどさように後を引く作品も珍しい。

それにはっきり言って、クラシック音楽好きにはキラーアイテムですよこの小説。
私はいまだにメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番と、バッハのブランデンブルク協奏曲第5番
平静な気持で聴けません。 ほとほと迷惑しております。
とりもなおさず、それだけパワーのある物語、ということにほかなりませんが。
皆さまもうっかり読んで、心を乗っ取られたり、心臓を打ち抜かれたりしないよう、お気を付けください。

そういうわけで、「ここは何回読んでも素晴らしい!」 「ここはいつ読んでも泣きそうだ・・・」
と、何度も読み返しておりましたところ、
そのうちに、「ここはどういう意味なんだろう」とか、「これはありえんだろー!」とか、
さまざまな疑問点、ツッコミどころがわらわらと湧いてきました。

とりあえず、この小説について考えたこと、突っ込んだことを
思いつくままに書いてみました。

題して、藤谷治「船に乗れ!」ネタバレ&ツッコミ感想 「船底の隅をほじくれ!」
(長文御容赦です)。




注)藤谷治「船に乗れ!」のネタを、脳天唐竹割りのごとく割っておりますので
 未読の方はご注意ください、というか読んでもわけわかりません、たぶん。





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藤谷治「船に乗れ!」ネタバレ&ツッコミ感想
「船底の隅をほじくれ!」


目次
(各項目にリンクしています)

@現在の南枝里子について
Aスピンオフ短編「再会」について
Bサトルがモテモテなことについて
Cサトルのルックスについて
D南枝里子のキャラクターについて
Eメンデルスゾーンの楽譜の書き込みについて
F南の最後の手紙について
G南の信じられない行動について





@
現在の南枝里子について


さて、今現在、南枝里子はどうしているでしょう。不幸になってはいないでしょうか。気になります。
私は、エピローグの鮎川千佳の様子から、南はいちおう平穏に暮らしていると思います。
鮎川はサトルと南に対し、負い目と責任を感じています。
もし南が不幸で苦しい境遇にあるのなら、サトルの前で平静ではいられないはずです。
サトルに会えば、いやでも南のことを思うでしょうから。
 
鮎川がサトルと平気でおしゃべりしたり、オーケストラに誘ったりしているところを見ると、南の生活は平穏なのでしょう。


もっとも、精神的に落ち込んでいる女子高生を言葉巧みに誘惑して孕ませるような男と結婚して
その後ずっと幸福な生活が送れているのか、という懸念はぬぐえませんが、
少なくとも鮎川はそれほど心配してないようです。


サトルと南が再会することはもうないのでしょうか。
スピンオフ短編「再会」(音楽アンソロジー「Heart Beat」:JIVE 2008年 に収録)によると、
サトルは現在、文筆業(?)に従事、まずまず順調のようです。
本名でホームページを持ち、そこからメールも送れるようになっています。
なので南からサトルに連絡するのは簡単です。もちろん鮎川を通しても連絡できます。

しかしいまだに連絡がないところをみると、南のほうはサトルに二度と会うつもりはないのでしょう。
自分が裏切った相手に会うのは、辛いことですから。
(だから金窪先生にきちんと会って謝罪したサトルは偉いと思います)

ただし南は、サトルの動静には関心を持ち続けているはずです。
彼が自分の道を見出したことに安堵し、祝福していることでしょう。


不思議なのは、鮎川が今でも南枝里子と連絡を取り合っていることを、サトルがなぜ知っているのか、ということです。
高校時代からの知り合いで、今もサトルと付き合いがあるのは鮎川と伊藤慧だけ。
鮎川はサトルに何も語らないのですから、伊藤慧から聞いたとしか思えません。
鮎川は伊藤慧と会う機会があり、そのとき南の話が出たのでしょうか。
「再会」では、伊藤とサトルは実際にはまだ再会せず、
「ドビュッシーの話でもしながら、ゆるゆる飲もう」と電話で約束して終わります。
ゆるゆる飲んだときに、伊藤は「鮎川と南は今でも連絡し合っているんだね」とサトルに話したのかもしれません。
しかし、南の暮らしぶりについて細かくは聞いてなかったのでしょう、伊藤は。


サトルもいちど思い切って鮎川に訊いてみればいいと思うのですが。
「最近、南枝里子はどうだ、元気にしているのか?」
・・・やっぱり訊けないかな?



Aスピンオフ短編「再会」について

スピンオフ短編「再会」(音楽アンソロジー「Heart Beat」JIVE 2008年 に収録)は、
サトルがチェロをやめてから27年後、伊藤慧のリサイタルに招かれたことをきっかけに
チェロを再開する話です。サトルは45歳くらいということになります。

嬉しいのは、サトルが結婚していて、しかも奥さんが優しくて聡明そうな人であること。
心から「良かったね」と言ってあげたくなります(そしてやはり南はどうしているのか気になります)。

なお「再会」の「バッハも飽きたなあ」という台詞(「
Heart Beat」182ページ)は、
「船に乗れ!」第2巻の102ページからそのままつながっています。

ちいさな食い違いがあります。
「再会」では、伊藤はバッハのロ短調ソナタ(BWV 1030)を、昼間に吹いたことになっています
「一心にフルートを吹く伊藤の背後に、夏山の陽光がまぶしかった」:「
Heart Beat」195ページ)。
しかし「船に乗れ!」では、伊藤が吹いたのは夜で、翌朝サトルが返礼の意味でバッハの無伴奏を弾きます(第1巻143ページ)。
サトルの記憶違いでしょうか。
また「船に乗れ!」では、南も一緒にいて、ベートーヴェンの「春」を弾くのですが、「再会」では彼女の存在には触れていません。
触れられなかったのでしょう。サトルの心の傷がまだ大きいことがうかがえます。

「船に乗れ!」のエピローグで、サトルは去年からチェロをまた弾きはじめたと述べています。
伊藤との「再会」をきっかけに再び弾きはじめたところ、当時のことが次から次へと思い出され、
抑えきれなくなって「船に乗れ!」執筆に至った、という流れですね。



Bサトルがモテモテなことについて

ところで、サトルはモテすぎです。
南とは、あんなことになっちゃったけれど基本的に相思相愛だったし、伊藤慧はサトルにどうやらひとめぼれ。

また、鮎川もサトルのことが好きなんじゃないかと思われるフシがあります。
南の手前(?)ずっと秘めていたようですが、サトルに楽譜と手紙を渡したときに、思わず感情があらわになりました。
「こういう役目は、もうおしまいにして欲しい」(第3巻194ページ)という言葉は、
友情と恋愛感情の板挟みになった彼女の悲痛な叫びでは?
鮎川の視点からストーリーを再構成してみると、せつなくてほろ苦いもう一つの物語が見えてくるかも。
しかし鈍感なサトルは全く気付いていませんね(今に至るも)。
南は気付いていたでしょうか?(絶対気づいてたね)

それから北島先生とサトルの間にも、秘められたドラマがあるのではないかと。
第2巻の290ページ、「先生は首を傾けて、隣に座っていた僕の肩にちょこんと乗せた」
ふられたばかりの男に対してこの行動・・・いやこれ思い切り誘ってますよね?
そのあと北島先生の家で夕食を御馳走になり、深夜に地下室でふたりきり。
演奏以外に、なにもなかったのでしょうか・・・。

サトルは浪人時代にも何度か北島先生の家の地下室を訪れています。
ふたりの関係はある程度継続的だったのかもしれません。
恋人とのつらい別れを経験した同士、惹かれあうものがあったのでは。
それでふたりの心が少しでも慰められたのなら良いのですが・・・。


そういえば手房あやめもサトルにちょっかいかけてました。

やっぱりモテすぎです!



Cサトルのルックスについて

モテモテ男子サトルのルックスはどうだったのかと思えば、
サトルの一人称小説だから無理もないとはいえ、ほとんど記述がありません。

わずかに、サトルがチェロを始めるときおじいさまが
「中学生にしてはガタイがしっかりしている」
(第1巻14ページ)と述べています。

あとは南の「どうりで育ちが良さそうな顔してると思ったよ」(第1巻228ページ)という台詞と、
「演奏している津島君は、最高にきれいです」(第1巻245ページ)というメモがあるくらいでしょうか
(言われてみたいっ!)
南が「かっこいい」ではなく「きれい」という言葉を使ったのは重要かもしれません。かなり整った顔立ちをしているのかも。
伊藤慧もサトルにはひとめぼれっぽいし、やはりハンサムくんなのでしょう。

サトルと南は、美男美女のカップルだったのですね。



D南枝里子のキャラクターについて

ヒロイン南枝里子
単なる美少女ではなく、欠点も小ずるいところもある一個の人間として多面的に描かれています。


彼女は最初からサトルが気になっていたようで(第1巻64ページ)、鮎川に頼んで放課後の教室に呼び出します。
チェロの腕前を確かめるためでしょうか(第1巻80ページ)。
また、合宿中に伊藤とサトルの間に割り込むようにして、ベートーヴェン「春」を弾きます(第1巻144ページ)。
サトルへのお返しというか、自分の腕を見せつけたかったのですね。

(ちなみに伊藤はこの時すでに南を「恋のライバル」として認識しているもよう。)
その後、南は合田先輩(のヴァイオリン)に見切りをつけ、おそらく鮎川に頼んで先輩を失脚させます(第1巻162ページ)。
サトルが南をトリオに誘ったのも、鮎川に背中を押されてのことでした。


「だけど私、ダビングってやったことないんだ」(第1巻176ページ)というのは
当時の音楽好きな高校生としてはちょっと信じられない。
サトル自身も疑っている通り、サトルを家に招く口実でしょう。うーん、したたか。


あと、南がサトルを松野先生の孫とは知らなかった(第1巻228ページ)というのも嘘っぽいですね。
鮎川は明らかに知っていますし(第1巻60ページの北島先生に関する会話)、
そもそも「学長先生の孫」が入学してくれば噂にならないはずがありません。
知っていたからこそサトルに関心を持ったのでは? 
それとも練習一筋で周囲から浮いていた南は本当に知らなかった??


そして例のメモ「演奏している津島君は、最高にきれいです」。キター! これはほとんど告白です。
ところが奥手なサトルは「デートなんだけど」などと念を押してしまい、
「津島君て、ほんとに鈍感だね! 想像を絶するくらい!」と南に呆れられます。
いやはや微笑ましい(第1巻279ページ)。

サトルは南を初めて見た瞬間に恋に落ちますが、南のほうも早くからサトルを気にしていたのですね。
かえって南のほうから積極的にアプローチしている感すらあります。
ただ南は、サトルのチェロの腕前はどうか、自分の音楽にプラスになるのかを冷静に見極めたうえで、距離を縮めていってます。
サトルは、ヴァイオリンがそれほど上手くなくても南を好きになったかもしれませんが、その逆は決してなかったでしょう。
サトルは「恋愛>音楽」ですが、南は明らかに「音楽>恋愛」です。

どうやら南は冷静で計画的、悪く言えばしたたかな娘です。
しかし、ヴァイオリンに対する姿勢は本物、彼女にとっては音楽が第一なのです。

合田先輩とつきあいかけたのも、ヴァイオリンが上手くなりたいためで、
「切った」のは先輩がそれほどでもないとわかったからでしょう。


「聴いてもらえなかったら、音楽家なんて何の意味もないよ。
 松野先生の家がどれだけ広いか判らないけど、できることなら千人でも呼びたい」
(第1巻234ページ)
南のこの言葉、尊敬に値します。腰が引けているサトルとは好対照です。


・・・それだけに、サトルの留学を聞いたあとの彼女の態度には奇異な感じを否めません。
家庭環境も経済力も違うことは先刻承知のはず。
芸大入試準備で心のゆとりがないとはいえ、まだ2年生の1学期。
それに留学といっても2カ月足らずですよ!
いったい、あの冷静でしたたかな南はどこへ行ってしまったのでしょう・・・。

それにしても「女が女を見ていると思った」(第1巻214ページ)、「綺麗な女子なんていないよ」(第2巻57ページ)
という記述は、その後の南の行動への伏線としてしっかり効いています。
第2巻の表紙で、サトルと南が離れて、別々の方向を向いているのも暗示的です。


第3巻の、12ページに及ぶブランデンブルク協奏曲第5番の演奏シーンは、「船に乗れ!」最大のクライマックス。
著者の藤谷さんは、ひさびさに登場した南に一言のセリフも与えず、演奏と表情だけに語らせます。
南の心の内はただ推し量るしかありません。
読者の気持ちはサトルとともに、もどかしくも千々に乱れます。
(考えてみると南には、第2巻の233ページ以降、一言もセリフがありません)

そして、最後の手紙のなかに立ち現われる、ひとりの母親としての南の真摯な姿。

大長編をしっかり支えるにふさわしい名ヒロインだと思います。



Eメンデルスゾーンの楽譜の書き込みについて

「船に乗れ!」は、とても音楽的に構成されています。
とくに、第1巻のメイン・テーマ曲、
メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番が、
第3巻で楽譜として再登場するところは、まるでソナタ形式の主題が、再現部で回帰したかのような構成美を感じます。

ところで、この楽譜には音楽好きなら無視できない、南による書き込みがされています。

ひとつは第4楽章の前半にあるという
「ここカザルスまちがい」(第3巻196ページ)。
もうひとつは第3楽章の32小節目の
「(ここでSカザルスの真似する)」(同197ページ)です。
メンデルスゾーンの後半楽章を仲良く合わせるサトルと南のまぼろしが読者の脳裏に浮かび、

ありえたかもしれない幸福
が胸をしめつける、なんとも切ない箇所です。

実際にどのように聴こえるのか聴いてみました。







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HMV : A Concert at the White House icon


「ここカザルスまちがい」の個所は、おそらく第4楽章の39〜40小節、
CDではトラック4の、0分59秒〜1分00秒。
確かにカザルスが一瞬入りそこねて、シュナイダーのヴァイオリンとずれています。
サトルの言うとおり、
「まちがい」というほどではないが、危ういです。
しかしここを「まちがい」と言い切る潔癖さが、南らしいと言えば南らしいですね。

「(ここでSカザルスの真似する)」は、32小節目ということですから、CDではトラック3の、0分44秒です。
カザルスはこのフレーズを軽く跳ねるように弾いていますが、どう「特徴的な弓の使いかた」なのかは、
素人の悲しさ、よくわかりません。どなたか弦楽器にくわしい方に教えていただきたいです。



F南の最後の手紙について

南の手紙は、この長編小説の大きなクライマックスのひとつです。
ただ、最後のほうに意味がわかりにくいフレーズがあります。

「私はサトル君は、チェロも、学校も、私も全部、壊してしまったのだと思います」(第3巻200ページ)。


そうでしょうか。むしろあんな事件を起こした南によって、
サトルのほうが壊されたんじゃないかと、最初に読んだ時には思いました。
サトルも「あるいは彼女のこの言葉だけは、また別の意味を持っているのかもしれないけれど」(同206ページ)
と言っているので、私なりに考えてみました。


サトルを知るまでの南は、もっとうまくなりたい気持ちはあっても、
将来、芸大に行ってプロになろうとは考えていなかったと思うのです。
学年で一番うまいと言われることで満足していたでのしょう。

しかしサトルと出会ってしまいました。
松野先生宅でのピアノ・トリオで喝采され、国際的プロであるビアンカさんを知り、
華麗なオペラの世界が、手の届きそうなところにあるのを見てしまいました。
自分もああなりたい、あの世界の一員になりたいと思った南は、
芸大合格宣言をして、それまで以上に必死に努力して、努力しすぎて燃え尽きてしまったとも言えます。

もしサトルに出会わなければ、あのような世界を知ることもなかったかわりに、平穏な生活が続いていたのに・・・
という意味なのかもしれません。
そして、つぎつぎに新しい音楽の世界を見せてくれるサトルに対し、南はなにか「恐ろしいもの」を感じていたのでしょう。

「こういうときが、いつか来ると、私は思っていました」という言葉には深い諦念が感じられます。

そしてすべてを受け入れたかのような「あなたが私にしてくれたこと、全部ありがとう」・・・。
南は試練を経て人間的に成長したことでしょう。
「魔笛」と違ってひとりで乗り越えなくてはならない試練でしたが(それとも夫になる人が試練を共にしてくれたでしょうか)。



また南は、サトルには単なる音楽家以上の何かがあると思ったのかもしれません。
「くるみ」でサトルは哲学や文学や音楽について、南に多くのことを語りました(第2巻24ページなど)。
さぞ青臭い内容だったことでしょうが、南はサトルは音楽の世界だけにおさまらない人だと感じたのかもしれません。
奇しくも北島先生も同じようなことを言っています(第3巻82ページ)。
この点でもサトルになにか底知れないもの(「恐ろしいもの」)がある気がしたのでしょうか。
そんなサトルがチェロをやめ、新生学園を出ていくことを、
「チェロも、学校も」壊してしまったと表現したのではないでしょうか。



G南の信じられない行動について

「船に乗れ!」は、オールタイムベスト級の本当に素晴らしい小説です。
ただし、どうにも納得しにくい個所がひとつあります。

例の海水浴の日の南の行動です。
いったい彼女は何を考えていたのでしょうか・・・?

あのような形で男と二人きりになれば、そのあとどういう事態が待っているのか、南が知らなかったとは思えません。

孤独な練習に燃え尽きそうだったとはいえ、芸大入試にプレッシャーを感じていたとはいえ(でもまだ2年生)、
裕福なサトルへの当てつけだったとはいえ、あまりにも無茶な・・・。
しかも相手はその日はじめて会った男で、南は(たぶん)処女。
いくら情緒不安定でも、処女の女子高生がはじめて会った男とその日のうちに・・・??

うーん納得がいかん。
そもそも彼女のおかれていた状況、そこまで自暴自棄になるほどのものだったでしょうか?

しかも鮎川が計画した海水浴です。何かあったら親友である鮎川にも迷惑がかかる、とは考えなかったのでしょうか。
ファースト・キスを交わしたばかりのサトルのことは頭をよぎらなかったのでしょうか。
会えないのが「すっごいきつかった」とはいえ、9月の下旬には帰ってくるのに
(というか、南はサトルにそこまで精神的に依存していたでしょうか?)。

ひょっとすると、鮎川はサトルにまだなにかを隠しているのかもしれません。
あるいは、鮎川もサトルも知らない、何か別の事情があったのかも
(たとえば家が経済的に非常に苦しく、大学進学自体を断念するよう親に言われたとか?)
そうとでも考えないと(考えても?)、かなり無理のある展開のように思えてなりません。

そもそも第1巻からサトルと南が別れてしまうことは随所で暗示されていました。
しかし、
南がほかの男の子供を宿して退学、というのはなんともショッキング。
たしかにこ
れ以上ないほどドラマティックな展開ではあります。
心変わりや喧嘩別れではインパクト小さいし、死別はかえって陳腐です。
しかし
第2巻前半までの、音楽に一途な南の姿と、「妊娠・退学」という事態とのギャップには絶句しました。
芸大に挑戦させてあげたかった。自分の力を試させてあげたかったです。

それにしても第3巻での南の再登場は鮮やかでした(ここでの伊藤の「男らしい」態度もいい!)。
そしてブランデンブルク協奏曲第5番の素晴らしい演奏シーン(南が無言のまま消えるもどかしさ!)、
返却されたメンデルスゾーンの楽譜(もう泣きそう)、南から別れの手紙(泣いた)という怒涛の展開は、
感動的というありきたりな言葉では言い表せない壮絶さです。

赤ちゃんがいないとあの手紙の重みは半減しますし、
サトルの「どうにもならないこと」への考察(この小説の重要なテーマのひとつ)もなくなっちゃいますから、
やはり南の妊娠はストーリー上の必然なのでしょう。なのでしょうが・・・。

鮎川流に言うと、私はただ枝里子が可哀想なだけ
小説の登場人物とはいえ、ストーリーの都合で突然妊娠させられ、退学させられ、
ヴァイオリンをやめさせられた彼女が気の毒なだけです。
才能あったのに・・・三度の飯より音楽が好きで練習が苦にならないというのは、それだけで立派な才能です。

藤谷治さんには、ぜひとも南のその後を描いたスピンオフ短編を書いてほしいものです。
ヴァイオリンを失っても母親として立派に生きる彼女の姿を見ることができたら嬉しいです。


(10.1.11.)



それほどネタバレでない「船に乗れ!」の感想へ(別ウィンドウが開きます)



2016.6.11.追記
「船に乗れ!」が小学館文庫から再刊されました。
表紙がかっこよくなってる!




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