シルヴェストロフ/ピアノ作品集
(エリザヴェータ・ブルーミナ:ピアノ 2011録音)
Tower : Silvestrov/Piano Works
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毎週欠かさず聴いているNHK-FM「クラシックの迷宮」(土曜・午後7時20分〜)。
2022年9月17日の放送は現代ウクライナを代表する作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの特集でした。
片山杜秀先生、なんと40分にも及ぶ傑作「交響曲第5番」を全曲流すという無双ぶり。
おそらくこの番組でかかった曲の最長記録ではないかと。
聴き応えのあるプログラムでした。
シルヴェストロフ・ファンが相当増えたのではないでしょうか。
余韻を味わうように今日もシルヴェストロフを聴いています。
ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937〜)は、生まれも育ちもウクライナのキーウ。
ずっとキーウ在住でしたが2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降はベルリンに疎開しています。
エリザヴェータ・ブルーミナによるピアノ作品集は、彼のピアノ曲を味わうには最適の一枚。
亡き妻ラリッサに捧げたレクイエムでもある代表作「使者」のピアノ独奏バージョンが収められています。
モーツァルトを思わせるメロディが淡々と奏でられる曲ですが、それは遠くから聴こえてくる淡いこだまのよう。
いま実際に鳴っている音楽というよりは、だれかの思い出の中で響く過去の音のような非現実感が漂います。
「メロディというのは音楽の最後の砦だと思ってください。その砦が崩壊してしまうと、音楽は騒音と混ざり合ってしまう」(ヴァレンティン・シルヴェストロフ)
使者(1997)
純度の高い透明な響きは単純な懐古ではなく、自己への内省、心のふるさとへの回帰。
失われたもの、過ぎ去ったものを慈しみ懐かしむ調べ。
古いアルバムを眺めつつ、お酒を飲みながら聴けば5分で泣き出す自信があります。
ある意味危険な音楽です。
「印象主義ではないです。休符の使い方だと思う。残響、空間・・・。
ドビュッシーのようにわざと印象派的な音楽を作るようなことは私はしません」(ヴァレンティン・シルヴェストロフ)
「4つの小品」より後奏曲
(風にそよぐ木漏れ日のきらめきを連想します・・・)
このシンプルで耽美的な世界は波乱と葛藤を経たうえでたどり着いた境地。
初期には前衛で先鋭的な曲を書き、ソ連の「社会主義リアリズム」(芸術は社会主義を称賛し人民の革命意識を高めるものでなくてはならない!)に公然と反旗をひるがえします。
交響曲第3番(1965)はヴァレーズやノーノを思わせる暴力的な響きで演奏禁止とされ、ソ連作曲家同盟からも除名されました。
しかしあるときから少ない音で自己の内面を見つめる手法に軸足を移し、妻ラリッサの死以降、その傾向に拍車をかけます。
もちろんこのスタイルも「社会主義リアリズム」にはそっぽ向いてるわけですが。
「今の時代は、大音響をすでに必要としていないのです。世界中を見てください。大きな音であふれかえっています。
今私たちに必要なのは、静寂の力なのです」(ヴァレンティン・シルヴェストロフ)
「キッチュな音楽」よりアレグロ・ヴィヴァーチェ
(小川のせせらぎが見えるかのような・・・)
ところで音楽評論家の林田直樹氏が2017年にシルヴェストロフにインタビューしたときプーチンの名前を出したところ、怒髪天を突かんばかりに怒りだしたそうです。
さらに「ソルジェニーツィンが『ウクライナはロシアと離れるべきではない、なぜならウクライナはロシアの弟なのだから』と書いていますが」、と言うと
シルヴェストロフは「違う違う、ウクライナが兄で、ロシアが弟なんだ!」と言ったとか。
実際、ロシアはキーウ大公国を起源とする国ですからね。
「2つのバガテル」作品173より第1曲モデラート
(寂しげな音の戯れ、ほのかな希望)
願わくばウクライナに一日も早く平和が訪れますように。
「私は、風の声を呼吸のようにいくつかの作品に入れています。風は強くなったり弱くなったりしますが、人間もそうです」(ヴァレンティン・シルヴェストロフ)
(2022.09.18.)
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