素人による音楽形式談義・最後の挨拶
最後の挨拶・・・って、ライヘンバッハの滝に身でも投げるの?
それをいうなら「最後の事件」でしょ、「最後の挨拶」は・・・あれ、何の話だっけ?
・・・・まあ、とにかく、クラシック音楽も、聴いてみるとけっこう楽しいでしょ。
いやあー、正直ちょっとむつかしいけど、クラシックがどういうものか、おぼろげには見えてきたかも。
なんたって、100年、200年と聴き継がれている音楽なんだから、それなりの魅力があることは認めるわ。
でしょ。そして、音楽形式を知っているのと知らないのとでは、曲に親しむまでの手間がずいぶん違うわよ。
たしかに、ソナタ形式くらいは、覚えといて損はなさそう。
バロック音楽は、まだ形式的にややこしくないけど、古典派以後の曲を聴く時は、ソナタ形式やロンド形式を知ってると心強いわよ。
(もちろんバロックも聴きこめば聴きこむほどに奥が深い世界です)
形式をマスターしておけば、初めて聴く曲でも、地図を持って歩くようなもの。
曲の構造を見通しながら、退屈せずに楽しめるわ。
地図ねえ。まあ、たまにはものを考えながら音楽を聴くのもいいかって感じ。
いつもなんにも考えずに生きてるものね〜。
ヒトに言われると腹が立つなっ。
ただし、今まで言ってきたことと矛盾するみたいだけど、
曲の形式や構造を理解することと、音楽が「わかる」こととは、必ずしもイコールではないのよ。
うわわ、これまで積み上げてきた内容を根底からくつがえすようなことを!
音楽がわかるってことは、結局、その音楽に共感できるってことだと思うのよね。
でも、形式を知っていれば、理解しやすいし、共感もしやすいんでしょ。
それはそのとおり。でも、ソナタ形式もなんにも知らなくても、ふと耳にした音楽の一節に強い感動をおぼえたなら、
それもまた音楽が「わかった」といって良いのかもしれない。
それはそうかもしれないけど。
たまには形式を忘れて、音楽の流れにただ身を任せるような聴き方もしてみると良いと思うな。
要するに、頭で理解するだけじゃなく、ハートでも聴かなきゃダメよ、ってことね。
そんな偉そうなことを言うつもりはないけどね。
いえ、充分えらそうです。
当たり前のことだけど、今までに、数えきれないほどの曲が作られては消えていったはず。
クラシック音楽として今でも演奏されている曲は、
いってみればサバイバル・レースを生き残った強豪ばかりなのよ。
そういうことになるわね。
どの曲にもそれなりに良いところがあるものだし、最初はむつかしくて良くわからない曲でも、何度か聴くうちに良さが見えてくるかも。
いったん「これはわからん」と思った曲でも、2〜3年たってからもう一度聴くと、意外にすんなり入っていけたり、なんてこともあるかもね。
でも、クラシックを聴くことは決して「お勉強」ではないから。
どんな音楽でもそうだけど、聴いて楽しいから聴くんだってことを忘れずにね。
楽しめない音楽を聴くのは、時間の無駄。
形式を覚えるのも、音楽をより楽しむため、なのよ。
それにしても疲れたわ。
クラシックをこんなにまとめて聴いたのは初めてだから、なんだか眠たくなってきたな〜。
子守歌でも歌ってあげようか。
それだけはやめてくれっつーの!
ともあれ、これまで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
(06.1.21.)
P.S. 06.11.17.番外編「ベートーヴェン/交響曲第7番 第1楽章」を追加しました。
P.S. 07.3.25. 「二部形式(スカルラッティ/ソナタ K.9)」を追加しました。