ジェローム・スピケ/ナディア・ブーランジェ 名音楽家を育てた”マドモアゼル”(1987)
(大西 穣・訳 彩流社 2015)




Amazon.co.jp : ナディア・ブーランジェ: 名音楽家を育てた “マドモアゼル”

Tower@jp : ナディア・ブーランジェ 名演奏家を育てた”マドモアゼル”


アストル・ピアソラ、ミシェル・ルグラン、クインシー・ジョーンズ、ジャン・フランセ、オリヴィエ・メシアン・・・
みんなナディア・ブーランジェの教え子だった!


20世紀、ことによると音楽史上最高の音楽教師、ナディア・ブーランジェの本格的評伝。

 ナディア・ブーランジェ(1887〜1979)

音楽関係の本や、CDの解説を読んでるとしばしば見かけるその名前。
偉い作曲家や演奏家が「ナディア・ブーランジェに師事」とよく書かれているのです。
なので音楽界の「影の黒幕」的印象を漠然と持っておりました。
薄暗い書斎で、大きな回転椅子に座り、葉巻をくゆらせながら、膝の上には黒猫。
「くっくっくっ・・・」と笑いながら、その表情は陰に隠れて見えない、みたいな。

実際には影どころか、20世紀のフランス音楽界を先頭に立って牽引したパワフルな女性でした。
こういうお顔をされていたのですね、まぶしいまでの「先生オーラ」が後光のように輝いています。
なお、妹のリリ・ブーランジェ(1893〜1918)は24歳で亡くなった夭折の天才作曲家として有名です。

ローマ賞受賞歴を持つ作曲家の父と、その教え子のロシア貴族の母との間にパリで生まれたナディアは、幼い頃から音楽の英才教育を受けます。
コンセルヴァトワールでは和声学、オルガン、ピアノ、作曲などで一等賞をかっさらい、16歳でオルガニストとしてデビュー。
ガブリエル・フォーレに娘のように可愛がられ、モーリス・ラヴェル、ジョルジュ・エネスクウジェーヌ・イザイ、アルフレッド・コルトー、ジャック・ティボーなどとは「オレお前の仲」(?)。
父はすでに亡くなっていたので、家計を支えるために自宅で音楽教室を開いたところ大人気。
さらにパリ女子音楽院、エコール・ノルマル音楽院、フォンテーヌブロー・アメリカ音楽院などで教鞭をとることに。
ただ、母校コンセルヴァトワールの教授になることは、1945年までかないませんでした(敵もいたらしい)。
また作曲でも挫折があり、ローマ賞に3回応募して3回とも落選。
このとき審査員だったサン=サーンスとは不仲になりました(のちに和解したとか)。

なおローマ賞に関しては、妹で自分の生徒でもあったリリ・ブーランジェが1913年に女性として初の受賞を果たします(19歳の若さ!)。
ナディアは誇らしいと同時に複雑な気持ちもあったはず。

 ナディアは自分が数年かかったことを、リリが本能のみで、ほんの数か月で習得していくことに衝撃を覚えていた(44ページ)

リリがローマ賞を受賞してからは作曲の筆を折ってしまいました。

ところで偉い人の評伝って、論文調で読みにくいことが多いのですが、この本にはあてはまりません。
文章が簡潔でわかりやすいし、有名人とのエピソードが次々に繰り広げられ飽きません。
とにかく登場人物の華やかなこと。
アーロン・コープランドに敬愛され、イーゴリ・ストラヴィンスキーは大親友、ディヌ・リパッティは愛弟子、
ジョージ・ガーシュインからは教えを請われたけれど断り(それが彼のためと判断)、オリヴィエ・メシアンとは喧嘩しちゃいます。
とくに衝撃的なのはセルゲイ・ラフマニノフの名前は口にするのも嫌だったという話で、その理由は本書53ページに書かれています。
これはラフマニノフが一方的に悪いわけじゃないと思いますが。

自身もナディアの生徒だったという著者ですが、手放しで褒めちぎることはせず、
彼女の尊大な面、人をはねつけることもある厳しさ、根に持つ性分、抜け目なさ、著名人好き・名誉好きについても随所で触れています。
素晴らしかったという講義の内容や、具体的なレッスン法にはほとんど触れられていないことが残念ですが、
そこまで書いちゃうと、専門的になりすぎるのでしょうか。
全てのクラシック音楽好きが楽しんで読め、たくさん「へえ〜」と言える華やかな一冊。

ただし、ナディアは筋金入りのドイツ嫌いでした(大戦を経験したフランス人はほとんどそうでしょうけど)。
ドイツ人とはほぼ付き合いがなかったようで、この本にはドイツ系作曲家・演奏家は全く出てきません。
独欧系音楽好きの方にはちょっと面白くないかも。

(2015.10.31.)

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