小沼丹/木菟燈籠(1978)
(講談社文芸文庫 2016)



Amazon.co.jp : 木菟燈籠 (講談社文芸文庫)

鳥好きが昂じ、退職して小鳥屋を始めた教員仲間。
案の定うまく行かず復職の世話をする成り行きに。
その結果、小鳥屋の店先に据えてあった立派な石燈籠が、今なぜか我が家の庭に・・・。
日常のなかで関わってきた人々の、ふとしたときに垣間見る思いがけない心のありようや今は亡き人の懐しい面影を、
柔らかい眼差しと軽妙な筆致で描き出したじわりと胸に沁みる作品集



 「いろんな感情が底に沈殿した後の上澄みのようなところが書きたい。
  或は、肉の失せた白骨の上を乾いた風がさらさら吹過ぎるようなものを書きたい。」



以前、「懐中時計」「銀色の鈴」をご紹介したことがある小沼丹(1918〜1996)。
この人のどこかとぼけて乾いたユーモア、人生を温かく見つめるようで突き放してもいるような不思議な距離感が、
妙にツボにはまりまして、その後もボチボチ読んでおります。

先日、近所の紀伊國屋書店を回遊していると講談社文芸文庫から小沼丹の新しい文庫本が出ているのを発見!
一も二もなく飛びついて、値段も見ずにレジに持っていったら、

 「1620円になります」

しえーっ! そういえば講談社現代文庫って、都会の高級ホテルのラウンジ顔負けの強気な価格設定なのでした。
もちろん買いましたけど、230ページの文庫本が1600円以上・・・。
でも内容は期待通りだったので満足です。

 小沼丹/木菟燈籠(みみずくとうろう、初版は1978年)

エッセイとも私小説ともつかない短編が11編。
日々のささやかな移ろい、平穏な日常のぬくもりを描くかたわらで、やたらに人が死にます。
その辺のミステリが裸足で逃げ出すほどの死にっぷりです。


 或る朝、栗の実を拾っていたら、家の者が顔を出して、
 ――林さんが亡くなりましたよ。
 と云ったから吃驚した。
 (「四十雀」より)


  同僚が思い出したように、
 ――そう云えば、上松さんが死んだそうだね・・・・・・。
 と云ったから、大寺さんは驚いた。
 (鳥打帽」より)


  朝食兼昼食の食卓に座っていると、台所で家の者が、
 ――そうそう、松木さんのお爺さんが亡くなったそうですよ。
 と報告した。 
 (「槿花」より)


まあ、みんな病死か自然死なんですけどね。
読んでいるとだんだん、人間はいずれ死ぬのが普通なのかと思えてくるほどです(←普通です)。
人の死が常に誰かの口から間接的に伝えられ、毎回律儀に「吃驚する」のも小沼テイスト。
つくづく知人の動静に疎いオッサンですね〜(オイオイ)。
しかし、他人事のようでありながら、不思議と「いつかは自分の番」という静かな覚悟が感じられます。
決して陰気でも暗くもなく、淡々かつ飄々とした独特の味わい。

小沼丹は、最初の奥さんがある日突然急死したこともあって、どこか突き抜けた死生観を持っていたようです。
いわゆるひとつの「悟り」ってやつでしょうか。
そういえば昨年は、その小沼丹の没後20年だったのでした・・・。

(2017.02.10.)


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