フォルクレ/ヴィオール組曲(全曲)
(パオロ・パンドルフォ:ヴィオール ほか 1994〜95録音)



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ルイ14世〜15世の時代、マラン・マレ(1656〜1728)とともにヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の二大名手と謳われた、
アントワーヌ・フォルクレ(1672〜1745)。

 「マレは天使のように弾き、フォルクレは悪魔のように弾く」

と言われたそうです。

 組曲第1番より ラ・フォルクレ
 
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 自分自身の名を冠した曲。「音で描いた自画像」でしょうか。エキセントリックで激しい曲で「悪魔」の名に恥じません。


当時フランスでは、人物のキャラクターを音楽で描く「ポルトレ(ポートレート)」が流行していて、
フォルクレの曲もその例にもれず友人・知人の名前が付けられていることが多いです。


 組曲第1番より ラ・クープラン
 
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 宮廷音楽家として同僚&同世代だったフランソワ・クープラン(1668〜1733)のポートレート。
 重々しく威厳のある曲で、フォルクレはクープランをどう見ていたのか考えながら聴くと面白い。
 なおクープランのクラヴサン曲集第3巻の第27オルドルには「フォルクレ」という曲があります。


アントワーヌの息子ジャン=バティスト・フォルクレ(1699〜1782)も才能あるヴィオール奏者で、5歳でルイ14世の御前で演奏を披露したほど。
しかしその才能をねたんだ父アントワーヌは策を弄し、1715年に息子を監獄送りにしてしまいます。
さらに1725年には息子を国外に追放しようと裁判を起こしますが、見かねたジャン=バティストの友人たちが王に対して

 「アントワーヌは息子の才能に嫉妬しており、ジャン=バティストはそのために不当で残酷な目に遭っている」

との書簡を送り、救われました。

当時、雑誌メルキュール・ド・フランスが、アントワーヌの曲を正しく演奏できるのは、本人以外にはジャン=バティストだけだと書いたくらいなので、
息子の腕前は確かに父に匹敵するほどだったのでしょうけれど、それにしてもねえ・・・。

 ホントに悪魔だったんじゃないかこの人。

なお、ジャン=バティストの母親にあたる妻はクラヴサン奏者でしたが、アントワーヌの暴虐ぶりについていけず離婚しています。


 組曲第5番より ラ・ラモー
 
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 後輩作曲家ジャン・フィリップ・ラモー(1683〜1764)のポートレート。
 ラモーのコンセール第5番には「フォルクレ」という曲がありますが、これは息子ジャン=バティストの結婚祝いのために書かれたと言われています。


アントワーヌ・フォルクレは1731年に宮廷音楽家を引退、王室から年金を支給され悠々自適の晩年を過ごしたそうです。
なんかむかつく・・・。

彼は生前、自分のテクニックの秘密を知られたくないとの理由で自作の出版を許可しませんでした。 器が小さいぞ!
しかし死の2年後(1747年)、息子ジャン=バティストは遺された楽譜をまとめ、父の名でヴィオール曲集を出版します。
自分を散々虐げた父の作品をどんな気持ちで出版したんだろうな。
同時にクラヴサン編曲版も出版し、18世紀後半以降ヴィオラ・ダ・ガンバが廃れたあと、むしろクラヴサン曲として人気を博しました。
ジャン=バティスト、先見の明がありましたね。


 組曲第2番より ラ・ルクレール
 
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 名ヴァイオリニスト、ジャン=マリー・ルクレール(1697〜1764)のポートレート。
 細かいパッセージがヴァイオリンのヴィルトゥオーゾを連想させますが、これをヴィオールで弾くのは相当大変なはず。


この曲集にはジャン=バティスト自身の曲も3曲だけ含まれています。
そして、それ以外に彼の作品はまったく残っていません。


 組曲第3番より シャコンヌ (ジャン=バティストの作曲)
 

(2025.10.11.)


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