中村紘子/ピアニストだって冒険する
(新潮社 2017年)



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親分:2016年7月に惜しくも亡くなったピアニスト・中村紘子(1944〜2016)最後のエッセイ集。

ガラッ八:カレーのCMに出ていた人ですね。

親分:そのCMを知ってるかどうかで年がわかるってもんだな。

 

親分:タイトルは、「ピアニストだって冒険する」

ガラッ八:観客が見つめるなか、誰もいないステージに出て行ってひとりでピアノを弾くなんて、立派な冒険だと思うでやんす。

親分:しょっぱなから、かつて日本のピアノ奏法の主流であり、自分も子どもの頃に叩き込まれたハイ・フィンガー奏法に対する批判が繰り広げられる。
  以前の著書でも書いているが、今回はかなり突っ込んだ内容だ。

ガラッ八:何ですかそのハイ・フィンガーってのは。

親分:手首を高い位置で固定して、タイプライターを叩くように弾く奏法だ。正確に弾くには手っ取り早いが、細かいニュアンスが犠牲になるそうだ。
  大ピアニストである中村紘子がこんなふうに嘆いているほどだ。

  どうして私の弾く音は、あの『本場』のピアニストが出すような、ふわっと柔らかく豊かで、シンはあるのに音の周りが美しい霧に包まれたような、ああいう響きにならないのだろう?(22ページ)
 
  手首が固いとブレスが柔軟に作れなくなるばかりか、音色に繊細なニュアンスを欠き、表情がフォルテかピアノだけ、という表現になりがちとなる。(30ページ)

  のちにジュリアードに留学したとき、これまでの奏法を根本から否定され、大ショックを受けていちから勉強しなおしたのは有名な話だ。

ガラッ八:ひゃあ、日本を代表するピアニストがですか〜!

親分:中村紘子は当時の日本ピアノ界のドン・井口愛子(1910〜84)に師事していた。
  いっぽう、パリのコンセルヴァトワールをプルミエ・プリ(一等賞)で卒業した安川加壽子は、ハイ・フィンガーではなく柔かい手首と伸ばした指で弾く、欧米の伝統的な奏法を実践していたのだが・・・

  私たち「井口派」の子どもたちは安川先生の演奏を聴きに行くことなど、もってのほかだった。愛子先生が安川先生の奏法を「あんなに指を伸ばして弾くなんて」と批判されていたことを、耳にしている。(32ページ)

ガラッ八:ひえ〜、こわいですねえ。
  でも実際には、安川加壽子の奏法のほうが正しいというか、よりピアニスティックなわけですね。

親分:つまり井口派が日本ピアノ界を牛耳っていたのは良くなかった、と井口愛子の愛弟子である中村紘子が公言しているわけだ。
  しかし、戦後の日本にクラシック音楽を根付かせようと献身的に尽くした立派な教師であったこともまた事実。
  そもそも、機械的に型にはまったように弾くハイ・フィンガー奏法は、教えやすく、日本人の性格にも合っていたのかもしれない。

ガラッ八:自由で柔軟な表現って、日本人は苦手なんですかねえ。

親分:そのほか、日本の社会に対する苦言もあるが、傾聴に値するよ。
  辛口のエッセイストが少なくなったとお嘆きの読者にお勧めしたい。

  どうも近年、クラシック音楽をはじめとする、いわゆる人間の「成熟度」を必要とする分野に携わる人々の存在感というか、社会における発言権が昔に比べて希薄になってきたように思うからである。
  
(中略)「成熟」を必要とする分野がある。ローマは一日にして成らず、という格言通り、人間の成熟には時間がかかるが、それを寛容に受け止める社会がなければならない。
  でも今日の日本でもてはやされているのは軽チャーであり、未成熟な子供っぽい思考である。
(176ページ)

ガラッ八:いやこれ刺さる、ぶっ刺さるっすね〜! 

親分:こんなことも言っているぞ。

  強い女性よりも、優しく無邪気で可愛らしい女の子の方が、大人からも可愛がられ、異性からも好まれると。
  それゆえ、日本の女の子は二十歳をいくつも過ぎてなお、「しっかりした大人」になりにくい・・・。
(244ページ)

ガラッ八:うーん、あっしは熟女のほうが好みですがねえ。

親分:お前の好みは訊いてねえよ。
  とにかく文章が読みやすいし、永い経験、広い見聞、深い考察に裏打ちされている。
  原智恵子、矢代秋雄、團伊玖磨、山本直純、黛敏郎など、すでに世を去った音楽の先達たちの思い出と裏話を語った最終章は特にずしんとくるな。

ガラッ八:最後の著書ですもんね。

親分:面白い話のネタはまだまだ持っていたはず、この人のエッセイ、もっと読みたかった。

(2017.11.11.)


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