斎藤美奈子/文章読本さん江
(筑摩書房、 2002年)


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辛口文芸評論家の斎藤美奈子が、古今の「文章読本」をめった斬りに!
裏表紙には、「斬捨御免あそはせ!」の文字が(こわ〜)。

いやー、世の中にはたくさんの「文章読本」があるんですね。
谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさしなど文豪による「正統派文章読本」から
無名ライターの手になる文章指南書まで、百花繚乱/浜の真砂状態だったとは知りませなんだ。

まずは「序文」から分析をはじめます。
「文章読本」の序文には一定の傾向があるという話です。
トラディショナル・タイプの序文は、以下の形式にのっとっているそうで、
 [起] 若い諸君の文章力が低下していると聞く (慨嘆)
 [承] そうなってしまうのはやむをえない面もある (理解)
 [転] しかし、人生は文章なしではやっていけないものである (脅迫)
 [結] 諸君のために、私が文章読本を書くことにした (結論)
    (11ページ)

・・・ほかにも「道場破り型」「恐れ入り型」などの形式があるけれど、
皆さん共通して、妙にうれしそう/晴れがましそうに、文章読本を書き始めるのだとか。

そして、各種の文章読本が推す三大修行法、
1.名文を読め。 2.好きな文章を書き写せ。 3.毎日書け。
が紹介されるのですが、 
第1の教えの最大の問題点は、「名文とは何か」を定義できる人が誰もいないことで、
ある人が名文と言う文を、別の人が悪文と呼ぶことはよくあることだそうです。

とにかく、いろんな「文章読本」をなで斬りです。
まあ文章読本って男性の書いたものが多いしな、フェニミスト論客って感じかなと思っていたら、
返す刀で女性が書いた「文章作法」的な本もばっさばっさ。
こんなに斬りまくってこの人大丈夫なの〜、と心配になります。

次いで話は明治以来の作文(綴り方)教育の話になり、
さらに旧仮名遣いから現代かな表記への変遷に関する興味深い話が続きます。
若松賤子の「かッた体」、保科孝一の「棒引きかなづかい」といった過渡期の表記法は爆笑もの。
本文149ページから151ページを立ち読みでもいいから(斎藤さん御免あそはせ)ぜひご覧下さい。

で、この本の結論ですが、
「文は人なり」という古い格言(文章読本はこれが大好き)は正しくない、ということです。

<文章とは、いってみれば服なのだ。「文は人なり」なんていうのは役立たずで、ほんとは「文は服なり」なのである。>(250ページ)

文章は、思想(というか考え)に形を与える包み紙みたいなもので、時流によって変化するもの。
「正しい文章」「美しい文章」に血眼になるのは、要は「思想の包み紙」の「見てくれのよさ」にこだわっているだけだ、 と喝破します。

<「正しい日本語」「美しい日本語」の押しつけには「日本語なんて、あんたが思っているよリ多様なんだよ」 (中略)と切り返してやればよいのである>(254ページ)

・・・とにかく内容豊富、決め付けがやや多い気もしますが、痛快で面白い一冊。
数々の資料を駆使して、緻密に書き上げられた大論文でもあります。
とくに明治・大正期の文献を、よくこんなに調べ上げたものです。さすが一流のプロ評論家。

そしてこの本で一番オトクなのは、
数々の「文章読本」を、まるで「読んだような気にさせてくれる」、ということかもしれません。

(02.5.25.記)     



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