鈴木智彦/ヤクザときどきピアノ
(CCCメディアハウス 2020年)



Amazon : ヤクザときどきピアノ


校了明けに観た映画 『マンマ・ミア! ヒア・ウィー・ゴー』 が俺の運命を変えた。
映画の中でABBAの『ダンシング・クイーン』が流れた時、涙が溢れて止まらなくなった。
特徴あるピアノの旋律に直接感情の根元を揺さぶられた。身体が音楽に包まれていた。

ピアノでこの曲を弾きたい。

出会ったのがレイコ先生だった。彼女はきっぱり言った。「練習すれば、弾けない曲などありません」

1回30分、月2回で月謝は6千円。ときにヤクザの抗争に阻まれながらも必死で練習した。
憧れの『ダンシング・クイーン』を弾くために。先生の期待に応えるために。
そして訪れる運命の日・・・その名は発表会!!

鈴木智彦/ヤクザときどきピアノ

カバー絵もあいまって誤解しやすいタイトルですが、著者自身はヤクザではありません。
ヤクザ専門のノンフィクションライター(52歳)です。
楽譜は読めず、ピアノに触ったこともない著者が、落雷に打たれたように突然思い立ってピアノを習おうとするところから始まります。
最高の姉御じゃなかった師匠であるレイコ先生を得て、1年後にあこがれの「ダンシング・クイーン」を発表会で弾くまでが、面白おかしく描かれます。

初対面のレイコ先生のお言葉がまぶしいです。

 「『ダンシング・クイーン』を弾けますか?」
 「練習すれば、弾けない曲などありません」
 レイコ先生は「エースをねらえ!」のお蝶夫人のように威風堂々と、完璧にレシーブした。(50ページ)


 (注:本書はコミックではありません)


かくしてふたりの「ダンシング・クイーン」制覇への道が幕を開けます。
「なるほど内容だいたい予想がつくぞ」 と思ったそこのあなた、

 そのとおりです。

想像される展開を一歩も踏み出さない安定の筋書き、しかしそれを面白く読ませる筆さばきはさすがの一言。
海千山千のノンフィクションライターの語彙力・表現力を存分に味わいましょう。

著者はたくさんのピアノ・音楽関連本を読み込んだうえで執筆にのぞんでいます。
カーハート「パリ左岸のピアノ工房」青柳いづみこ「ピアニストは指先で考える」ジョン・ホルト「ネヴァー・トゥー・レイト〜私のチェロ修行」恩田陸「蜜蜂と遠雷」など
私の愛読書にも言及されていて親近感がわきます。

私自身、中年から楽器を始めていまも楽しく悪戦苦闘している身、わかりすぎるくらいわかります。
著者のことが他人とは思えません。
そしてこの本、名言の宝庫です。
趣味で楽器を始められた方には強力にオススメです、というか必読書と言っても過言ではないでしょう。


 練習を繰り返せば、体は努力に匹敵する成果を与えてくれる。練習は決して裏切らない。(117ページ)

 俺の稚拙な賛辞を聞くたび、先生は「ピアノを触った時間が多いだけ」とそっけなく答えた。(132ページ)

 弾けない原因は一つしかない。単純に練習が足りない。鈴木さんより上手な人は、鈴木さんより多く弾いている。(132ページ)

 無理やり弾かされていると感じたら、もう駄目なんです。誰も導けないし、助けられない。(136ページ)

 (発表会で)「シニアの皆さんは緊張しすぎて、なんというか悲壮な感じで、わかりやすくいうと・・・・・・お通夜ね」(154ページ)


さて、抗争事件取材の合間を縫って、血を見る・・じゃなかった血のにじむような練習を重ねた結果、ついに訪れる運命の日、「発表会」。
その結果は・・・・・・

 (楽譜は読めず、ピアノを触ったこともない状態から1年でこれは偉いと思います)


(2020.11.09.)

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