蘇る、安川加壽子の「ことば」
(青柳いづみこ・編 音楽之友社 2022)



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2022年生誕100年のピアニスト安川加壽子(1922〜96)のインタビューや執筆した文章を集めた1冊。
演奏者として、指導者として、戦後の日本音楽界を牽引した彼女から発せられる品格のある「ことば」が満載。
音楽において、家庭において、人付き合いにおいて、どのような信念のもとに己の美学を貫いたのか。
『メトードローズ』をはじめとするピアノ教本や曲集の狙いを読み解くにもヒントになるメッセージが随所に見られる。
愛弟子の一人、青柳いづみこ氏による各章に付されたコラムで、当時の背景を踏まえながらより理解を深くすることができる。


安川加壽子(1922〜96)

 1922年、兵庫県生まれ。
 1歳のとき、外交官の父の仕事のため一家でフランスに渡る。
 3歳でピアノを始め、10歳で国立パリ音楽院に入学。
 1937年、15歳で国立パリ高等音楽院を首席で卒業、ピアニストとして演奏活動を開始。
 第二次世界大戦勃発のため1939年、17歳で帰国、日本国内で演奏活動のかたわら東京芸大の教授として数多くの後進を育成した。

戦時中、フランスから天女のごとく降臨し、日本のピアノ界を牽引し支えた偉大なお方であらせられます。
ベートーヴェンを中心とする独欧系音楽が偏重された日本音楽界に、カラフルでエスプリに富んだフランスの風を吹きこみました。
重厚より洗練、力強さよりしなやかさを追求したピアニズムは日本において独特の輝きを放ちました。
私の大好きなピアニスト、田中希代子(1932〜96)は彼女のお弟子さんでした(奇しくも同じ年に亡くなっています)。

 ドビュッシー/夜想曲 (安川加壽子)
 

もっともご本人にしてみれば、ピアニストとしてこれからというところで日本に戻らざるを得なかったのは不本意なことでした。
おまけにパリから持って帰った2台のピアノと大量の楽譜はすべて空襲で焼けてしまい、1年ほど全くピアノに触れることができなかったとか。
本当に戦争ってのは・・・残酷です。

それにしても安川女史の日本語は美しい。
物心つく前から17歳までパリで暮らしたので、後年になっても「日本語よりフランス語のほうが得意」と言っておられたそうですが、
なんのなんの、私よりずっと日本語力高いです。
しかも含蓄の深いこと。

 リサイタルといいますのは、いい出来に仕上がらないことのほうが多いんです。
 それまでは夢中になって、がむしゃらに勉強して、結果が出てくるのはリサイタルが終わってからなんです。
 そのあとで、しばらくしますと自分でも少し進歩したということがわかってくるわけです。
 (43ページ)

 日本の音楽界が世界に伍していくためには、やはり日本人の個性をはっきり出すということが必要じゃないかと思います。(44ページ)

 教師も生徒と一緒に進歩していかなければならない。教師であるからと言って、ある点で止まってしまってはならない。
 かならずいつまでも進歩を目がけて、とにかく自分も一緒に努力していかなければならない 
(82ページ)

 「むつかしいフレーズこそさりげなく弾かなくては」 (160ページ)

同時代の人々が安川加壽子について書いた文章もいろいろ収録されています。

 1941年に日本でデビュー・リサイタルが開かれてからは、「フランス帰りの天才ピアニスト」等々と随分もてはやされたのにもかかわらず、帰国当時の謙遜な態度を崩しませんでした。
 「世界には私よりずっと優れた演奏家がたくさんいるのですもの」と。
 これはけっして彼女が謙遜しているのではなくて、心からそう思っていたからだと思います。
 (161ページ。友人・青木和子のエッセイより)

パリ時代からの友人・青木和子さんは駐仏大使の長女で、安川加壽子の6歳年上でした。
じつは加壽子のお見合いを仕組んだのは彼女で、青木和子と安川加壽子と見合い相手とその弟の4人で麻雀を囲んだのがお見合い代わりだったそうです。

 出会いの場は、麻雀テーブルだったのです。
 ゲームが終わったときの雰囲気がとてもよかったので自分がお見合いをしているなどとは夢にも知らない加壽子に、シャンソンに編曲されたショパンの「別れの曲」を歌わせました。
 どうやらこの歌で、一高出のばんから海軍士官とパリ育ちのはいからピアニストは結ばれたようです。
 (162ページ。友人・青木和子のエッセイより)

他にも、谷川俊太郎、草野心平、三善晃、吉田秀和などとの対談を収録。
三善晃・吉田秀和との三者対談のテーマは音楽ではなく、なんと「相撲」。
じつは安川加壽子は大の相撲ファンで、国技館にもよく通ったそうです。

 お相撲って、一人の相撲取りが登場し、強くなって、やがて引退していく、その過程を見るのが楽しみね。 (206ページ)

相撲の話をしても、そこはかとなく上品です。
育ちがいいって、こういう人のことを言うのですねえ。

全編にわたって優雅さと気品を感じさせつつ、凛とした芯が一本通っているような素敵な書物であります。
この本と、青柳いづみこ「翼の生えた指」を読めば、誰もが安川加壽子ファンになることでしょう。

残念なのは2022年現在、安川加壽子の音盤がほとんど入手不可能なこと。
生誕100年なのに・・・、豪華ボックスセットでも出してくれないかな、絶対買います。

(2022.06.30.)


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