カリンニコフ/交響曲第1番&第2番
(テオドル・クチャル指揮 ウクライナ国立交響楽団)



Amazon.co.jp : Kalinnikov/Symphony 1 & 2

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今年(2016年)アニヴァーサリーの作曲家といえば、
私的には没後100年のマックス・レーガー(1875〜1916)がまず思い浮かびます。
けっこう好きなんですよね、レーガー。
しかし残念ながら100周年記念CDとかDVDとか写真集が出るという話はないようです。

 まあ売れんわな・・・・・・(とくに写真集はな!)。

  
 マックス・レーガー(1875〜1916)

あと、エリック・サティ(1866〜1925)、ヴァシリー・カリンニコフ(1866〜1901)が生誕150年。
アンリ・デュティユー(1916〜2013)、アルベルト・ヒナステラ(1916〜1983)、柴田南雄(1916〜1996)が生誕100年です。


なるほど、カリンニコフ生誕150年なのね。
ヴァシリー・カリンニコフといえば、1990年代にナクソスから交響曲のCDが出たとたん「なんつういい曲だ!」とクラシック・ファンの間で大フィーバー。
無名作曲家から一気に人気者に成りあがった人です。

今回、久しぶりにカリンニコフの交響曲を聴いてみると・・・・・・。
いやー、やっぱり2曲ともいい曲です!

とくに「交響曲第1番」第1楽章の第二主題は、何度聴いても胸キュンです。(←きもい)
下の動画の1分06秒あたりから始まるメロディです。
憂愁というか、悠久というか、ロシアの大平原が目に浮かぶようです、見たことないけど。

 第1楽章
 

最初はメロディの美しさに惹かれるのですが、何度か聴くうちに多彩なオーケストレーション、見事な構成にも魅了されます。
第4楽章では、それまでの楽章の主題が再登場し、統合され、祝祭的なクライマックスを築きます。

 第4楽章
 

「交響曲第2番」は、第1番ほどのキャッチ―さはありませんが、循環形式を用いて丁寧に作られた作品。
やはりメロディの美しさが光ります。
とくに第2楽章の愁いをたたえたロマンティシズム、触れなば落ちんばかりの繊細さは陶酔もの。
本当に天才的なメロディ・メイカーです。

 第2楽章
 

ヴァシリー・カリンニコフ(1866〜1901)は、ロシアの片田舎の貧しい警官の家に生まれました。
幼い頃から音楽の才能を発揮しますが、まともな音楽教育は受けられず、楽器を自作したり、地元の聖歌隊の指揮をしながら音楽はほぼ独学。
その後モスクワ音楽院に入学を許されますが学費が払えず1年で退学、幸い奨学金を得て別の音楽学校で学びます。
学費と生活費のため、写譜をしたり、オーケストラの臨時雇いをしたり、必死に頑張りますが、無理がたたって結核に侵されます。

1895年に自信作「交響曲第1番」を完成、なんとか演奏してもらおうといろいろ働きかけ、2年後の1897年に、キエフで初演にこぎつけます。
これが大成功&大評判、注目の若手作曲家となったカリンニコフ。
しかしすでに病魔にむしばまれていた彼は「交響曲第2番」(1897)発表後、みるみる体調が悪化。
療養の甲斐なく1901年に35歳で亡くなってしまいます。

先日、NHK−FMの「クラシックの迷宮」という、クラシック・ファン必聴の名番組(よく聞き逃すけど←コラコラ)で、「カリンニコフ特集」をやってました。
片山杜秀さんの、まったりした話しっぷり、恐ろしいほどの博識ぶり、クラヲタ心をくすぐる選曲が、じつにツボなんですよね(よく聞き逃すけど←オイオイ)。
「へえ〜」だったのが、近衛秀麿が1920年代にベルリン・フィルを指揮したとき(日本人がヨーロッパのオケを指揮したのはこれが最初)、
プログラムのメインに持ってきたのが、カリンニコフ「交響曲第1番」だったこと。

なかなか好評で、気を良くした近衛秀麿は帰国後も折に触れこの曲を振ったので、
戦前の日本のクラシック・ファンの間では比較的有名曲だったらしいのです。

それがなぜ忘れ去られたのかについては説明はありませんでしたが、興味深い話でした。

(2016.02.18)


ヴァシリー・カリンニコフ


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