モーツァルト/後期6大交響曲集
(カザルス指揮 マールボロ音楽祭管弦楽団ほか)



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野武士系モーツァルト?


次女 「センチメンタルセンチメートルって、関係ないん?」
私 「どういう関係がありえるんや!」
次女 「いや、語源が同じとか」
私 「なんでやー!」

と、阿呆な会話をしているうちにすっかり年の瀬です。


先日、カザルス指揮のバッハを聴いてから、指揮者としてのパブロ・カザルスにプチはまり状態の私。

こんどはモーツァルトを聴いてみました。

大柄な(ときに大げさな)表現、大きな音でブンブンいわせる活きのよさ、アクセント、メリハリ。
熱いです、エネルギーにあふれています。
まるで野武士のようなモーツァルト(どんなんや)

しかし、決してイキオイだけで押し通す演奏ではなく、その解釈は考え抜かれています、たぶん。

 「言いたい事がいっぱいあるんだぜ俺には!」

 
「そして俺の言うことはほかの奴とはちょっと違うんだぜ!!」

 とカザルスさん言ってるわけです、たぶん。

たとえば「ハフナー」の第3楽章。
メヌエットの上昇音形につけられたアクセントは、ほかの演奏では(おそらく)聴けないもの。
その切れ味には、思わす背筋が伸びます。
そして確かに、ここはこう演らなきゃダメだ! と思わせる説得力があります。

「リンツ」第1楽章は、聴いたこともないほど遅いテンポで、がっしりと組み立てた演奏。
武骨でごつごつした部分と、柔らかくしなやかなフレーズの交錯が魅力的。
かと思えば第4楽章は速めのテンポで、笑いさざめくように明るく華やかに。

「プラハ」 序奏部の緊張感・ものものしさはほとんど悪魔的
同じくプラハで初演された「ドン・ジョヴァンニ」を連想します。
いや、これ怖いっすよマジで。
なんつうオドロオドロしい演奏だ〜、と思っているうちに術中に。
生きる喜びにあふれる主部との対比に興奮です。

第39番は、澄み切った空のような晴れやかで雄大な第1楽章の麗しさ。
そして第2楽章は一転、深淵の闇をのぞき込むような緊張感みなぎる表現が聴けます。
こんなに底知れない音楽だったのか、これ・・・。
怖いっすよマジで。
カザルス、足を踏み鳴らしてます(緩徐楽章で!)
フィナーレでは流麗で輝かしい音の饗宴にひたすら酔いしれるのみ。

 第1&2楽章
 

第40番は、前のめりの姿勢で駆け抜けるような第1楽章がいいですね。

落ちついたテンポでがっちりと構築された「ジュピター」は、
楽章が進むにつれて明らかに調子が上がってきて(ライヴですから)、フィナーレはほとんどお祭り騒ぎ。
マグマのように噴出する熱気と輝きに圧倒されます。
先日読んでたいへん感銘を受けた(あるいは打ちのめされた)藤谷治「船に乗れ!」の最後のコンサートで演奏される「ジュピター」は、
あるいはこういう演奏だったのかも・・・と想像しながら聴きました。

マールボロ音楽祭管弦楽団は、音楽祭のための臨時編成オーケストラ。
おまけにライヴ録音なので、よく聴くとアンサンブルが荒かったり、響きが雑だったりします。
カザルスのうなり声や、椅子がギシギシいう音も入ってます。
ただし奏者は一流ソリスト将来の巨匠の集まり
(ヴェラ・ベス、ジェイミー・ラレード、潮田益子、今井信子、ミクロシュ・ペレーニ、岩崎洸、ポーラ・ロビソン、リチャード・ストルツマンなど)。
カザルスの、個性的ながら考え抜かれた解釈に従って思う存分弾きまくるのは最高に刺激的で気持良かったでしょうね。

 6大交響曲全曲
 

ところでこのあいだは長女のほうが
『シルヴプレ』『下ぶくれ』って、よく似てるなあ〜」
・・・・・つくづく似たようなこと考える姉妹であります。

(09.12.28.)


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