庄野潤三/夕べの雲(1965)

Amazon : 夕べの雲 (講談社文芸文庫)

昭和30年代、自然豊かな多摩丘陵の丘の上に家を建てた一家。
小説家の父親とそれを支える母親と、三人の子どもたち。
何もさえぎるものない丘の上の家を舞台に人々や自然との交流を詩情豊に描く。


福岡で働いている長女(社会人一年生)に夫婦で会いに行きました。
ちょうど私たちの結婚記念日でもあったので、夜は回らない寿司をごちそうしてもらいました。
娘に寿司をおごってもらう日が来ようとは・・・・・・リンダ困っちゃう(古い)じゃなかったお父さん感激しちゃう!

嬉しくて食が進み、たらふく飲み食いしました。
会計のとき娘の顔がひきっつているように見えたのは、きっと目の錯覚でしょう。

立派に独り立ちしてくれてひと安心です。
関西の大学に通っている次女も春から大阪で就職するので、香川の実家に戻ることはないでしょう。
これからずっと夫婦二人の生活かあ・・・・あ、いえ、べつにイヤって言ってるわけじゃないですよ。

そういえば娘たちが小さく、四人で暮らしていたころは・・・・・・。
家は狭かったけど外で遊べる場所はたくさんあり(田舎なもんで)、娘たちも近所の子と徒党を組んで走り回っていました。
私も幸い職住近在だったので(田舎なもんで)、早く帰った日はよその家の子どもとキャッチボールしたりしたものです(たいてい子供のほうが上手い)。

庄野潤三「夕べの雲」を読むと、あのころを思い出します。

日々の生活を淡々と描いた連作です。
昭和30〜40年代は東京にもまだ豊かな自然が残っていたんですね。
マムシが出たり、ムカデに刺されたり、山鳩を見かけたり、カブトムシを採ったり。
事件や事故や災害は起こりません(せいぜい雷が近くに落ちたり、子どもが骨折したりする程度)。
しかしまもなく宅地開発の波が寄せてきます。

 「赤と白のだんだら模様の椿と測量の機材と木の枝を払うためのなたを持った青年がこの山へ上がってきた日から始まった。大きな団地が建つことになったのである」(85ページ)

丘は切り崩され、森は切られることになります。
だからといって怒るとか反対するわけではありません。
そもそも彼らが引っ越してくる前から決まっていたことなのです。
透明な諦観が漂い、やがて失われるであろう自然の美しさが際立ちます。

 「ここにこんな谷間があって、日の暮れかかる頃にいつまでも子供たちが帰らないで、声ばかり聞こえて来たことを、先でどんな風に思い出すだろうか」(87ページ)

日本経済新聞に昭和39年から40年にかけて連載されました。
ヤマもなければオチもない、けれど味わい深い13編。
実際の日常をそのまま文章にしたそうで、小説なのかエッセイなのかわからないほど。
つまりこれって現在多くの人が書いてる「身辺雑記系ブログ」のはしりではないでしょうか。
庄野潤三、意外とススンでたんだな〜と思います。

ただちょっと気になるのは、あまりにも平穏無事すぎること。
いくら家族とはいえ5人の人間が共に暮らして、ここまで平和なはずはないと思うのです。
うちなんか4人でも血を見るほどのバトルが何度かは・・・。
まあそこらへんが本書がノンフィクションでなく小説たる所以、「家庭内ユートピア小説」なのでしょう。


ところで福岡に行ったのはもう一つ目的がありまして、それはmoumoonのライヴ。
今回は「OFUTARISAMAツアー」ということでバックバンドなし、ヴォーカルのYUKAとギターのMASAKIの二人だけ。
アコースティックでオーガニック、しっとりさわやか、素敵なライヴでした〜。

 (←2015年の「OFUTARISAMAツアー」より)

(2019.02.11.)


一年先になるか、二年先になるか、それが分からなかった。きっちりした性分の人なら、それを確かめるだろう。
大浦は、もともと面倒臭がりである上に、はっきりしないことははっきりしないままでいる方がよい、無理にはっきりさせなくてもいいという男であった。
いいことなら、その時に喜べばいい。もしそれが悪いことなら、なお更はっきりしない方がいい。

(86ページ)


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