ジョン・ウィリアムズ/ストーナー(1965)
(東江一紀・訳 作品社 2014年)



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ウィリアム・ストーナーは、1910年、19歳でミズーリ大学に入学した。
その8年後、第一次世界大戦の末期に博士号を授かり、母校の専任講師の職に就いて、1956年に死ぬまで教壇に立ち続けた。
終生、助教授より上の地位に昇ることはなく、授業を受けた学生たちの中にも、彼を鮮明に覚えている者はほとんどいなかった。

(本文冒頭部)


「ストーカー」ではありません、「ストーナー」です。

 ジョン・ウィリアムズ/ストーナー (1965)

格調高い名品でありました。
内容は、冒頭の三行に要約されています。
本当に、これだけの話です。
ここだけ読んで、「全部読んだふり」をしてもいいくらいです。

平凡で不器用な男の人生を淡々と描いた超絶地味小説。
しかし、これほど味わい深い小説を読んだのも久しぶり。

1891年、アメリカ中西部ミズーリ州の貧しい農家に生まれたウィリアム・ストーナー。
高校を卒業したら実家を手伝うつもりだったのですが父親に、

 「おまえはこの秋、大学に入れ。母さんとふたり、なんとかやっていく」(7ページ)

と告げられ、地元から初めてミズーリ大学の農学部に進学。
必修科目である英文学の授業でシェイクスピアのソネットに打たれたストーナーは、親には告げずに文学部に転科、英文学研究に取りつかれてゆきます。

卒業したら家に戻り、農業を継いでくれるものと思っていた父親に、大学に残って文学研究者になりたいと告白するストーナー。
このときの父親の態度が素晴らしい!

 「おまえが、ここに残って勉強すべきだと思うんなら、それがおまえのすべきことだ。 母さんとわしはなんとかやっていく」(27ページ)

親とはかくあるべきですね。
しかしそれからの人生は、お世辞にも順風満帆とは言えません。 

 一目ぼれして結婚したイーディスとの心通わない生活。
 愛情こめて育てた一人娘グレースとのぎこちない関係(当時アダルト・チルドレンという概念はまだなかったですが、グレースは典型的なそれですね)。
 職場では権力指向の同僚から目の敵にされ、
 若い女性講師との間に愛を見出すも結局は不倫であり別れざるを得ない。

 「行く手には期して待つものは何もなく、来し方には心温まる思い出などなきに等しかった」(213ページ)

辛いことも多いですが、
ストーナーは文学を講じることを自分の天命と感じ、教師の仕事に身も心も捧げます。
その気持ちに迷いはありません。
やはりこれはひとつの幸福なのではないでしょうか。
たとえそれが、他人から見ればたいした仕事ではないとしても。

静かで美しい小説です。
繊細なガラス細工のような詩情に満ちた文章をじっくり味わいながら読むべしです。

アメリカ人が好む成功物語とはほど遠いためか、1965年の出版後はほとんど評価されずに忘れ去られたといいます。
40年以上たってヨーロッパで再評価され、多くの国で翻訳されるようになったそうです。
この小説からは、「人生の本質」「真に価値のあるもの」を感じとれる気がします。
いわばアメリカ版「名もなく貧しく美しく」、日本人の琴線にもしっかり響きます。

著者のジョン・ウィリアムズ(1922〜94)自身もデンヴァー大学の文学部で長く教鞭をとったそうです。

(2017.07.23.)


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ページを繰ると、まるで紙の一枚一枚が生きているかのように、指先をくすぐった。
その感覚が指から、筋肉へ骨へと伝わっていく。
ストーナーはそれをかすかに意識し、全身がその感覚に包まれるのを待った。
恐怖にも似た古い興奮が、横たわった体の動きを封じるのを・・・。
窓から射し込む陽光がページを照らしていたが、そこに何が書いてあるのか、もうストーナーには読めなかった。
指から力が抜け、手にした本がゆっくり傾いて、動かぬ体の上を素早くすべり、部屋の静けさの中に落ちて行った。

(本文終結部)

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