ダニエル・ケールマン/世界の測量
〜ガウスとフンボルトの物語
(三修社 2008年)


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<ストーリー>
世界各地での測量のやり方をわかりやすく説明した本・・・ではありません!

偉大な数学者/物理学者/天文学者ガウス
近代地理学・博物学の祖といわれる冒険家フンボルト
19世紀ドイツを代表するふたりの天才の人生を交互に描きながら
「知」とは「真理の探求」とは何かを考えさせる哲学的冒険小説です。


フンボルト、ヤバすぎでしょうマジで。

「フンボルト海流」「フンボルトペンギン」などにその名を残す アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769〜1859)は
「何でもやってみよう・見てみよう・観測しよう」をモットーとするアブナイ男。
若い頃、筋肉が電流を通すことを確かめるために、自らの身体を切り裂いて電気を流して気絶します。

その後、真理探究のため世界冒険旅行に出発。
アマゾン川とオリノコ川を結ぶ水路が存在することを確かめるためにピラニアやワニがウヨウヨする河をボートで下ったり、
「地球水成論」を検証するために身体にロープを結びつけて火山の火口に降りたり、
嵐に翻弄される船のマストにわが身を縛りつけて波の高さを観測します。

助手のボンプランを従え、世界中を駆け回る様子はドン・キホーテとサンチョ・パンサのよう。
よくもまあ天寿をまっとうできたものです。


一方のカール・フルードリヒ・ガウス(1777〜1855)は書斎型の天才。
ひたすらに思索をめぐらし、名著「整数論」をあらわし、素数の分布を計算する「素数定理」を考案し、望遠鏡で天体を観測して惑星の軌道を計算します。
しかし彼もまた天上天下唯我独尊の大変人。
自分以外の人間がみな馬鹿に見えて仕方がありません (事実そのとおりなのですが)。
そのくせ、ドイツが戦争をしていることを知らなかったり、子供が生まれるまで妻が妊娠していることに気づかなかったりします。


「高さがわからない丘があれば、それは理性に対する侮辱というものであり、
 僕は落ち着かない気分になってしまう。
 (中略)道端のどんな小さな謎だろうと放置してはならないのだよ」
(40ページ)
と述べるフンボルト。

「ただ足を引きずって歩けばよいというものではない。思考することも必要なのです」(242ページ)
というガウス。


あくまでも「伝記」ではなく「小説」であります。
19世紀ドイツを代表するふたりの学者の浮世離れした人生が抑え気味の乾いたユーモアをまぶしつつ、一章ずつ交互に描かれます。
なるほどこれがドイツ風ユーモアというものですか。
イギリスともフランスとも違った味わいです。


また本書ではふたりとも、「他人を愛することが出来ない」人間として描かれています (実際にどうだったのかは知りませんが)。

助手ボンプランが死にかけても、パラグアイで幽閉されても、まるで他人事のようなフンボルト

息子オイゲンの愚鈍ぶりを繰り返し叱りつけ、ついには政治集会に参加して逮捕された息子を見捨ててしまうガウス
(オイゲンは、ガウスから見れば愚鈍ですが、水準程度の知能の持ち主に思われます・・・)

どちらも悪意はなく、学問と真理以外は眼中にないだけなのですが、それがかえって恐ろしい・・・。
作中では見事なブラックユーモアとして機能しています。
まあ、天才には、なにか重要なことが欠落しているものなのでしょうか。

上質のエンタテインメントとして楽しめて、読後にいろいろ考えさせられる一冊でした。

(09.1.25.)

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