逸木裕/四重奏
(光文社 2024)



Amazon : 逸木裕/四重奏


チェリストの黛由佳が自宅で放火事件に巻き込まれて死んだ。
音大時代に由佳の自由奔放な演奏に魅了され、彼女への思いを秘めていたチェリストの坂下英紀は、
孤高のチェリスト鵜崎顕が率いる「鵜崎四重奏団」のメンバーとなっていた由佳の突然の死にショックを受ける。
その死に不審を感じた英紀は、由佳の穴を埋めるための「鵜崎四重奏団」のオーディションを受けることで、真相を探ろうとする。

若い人が亡くなるお話は好きではないのですが、読み始めたらすっかり引き込まれてしまいました。

 逸木裕/四重奏

いちおう美人チェリストの死の真相を探るミステリ仕立てですが、本当のテーマはそこではなく、
「真の音楽表現とは何か」ということ。

「鵜崎四重奏団」はいわゆる弦楽四重奏団ではなく、チェロ4台の「チェロ四重奏団」です。
チェロ四重奏ってなかなかいいんですよね〜。
低音の迫力があるし、ハイポジションを駆使すれば結構高い音も出せます。

 展覧会の絵
 

四重奏団のリーダー鵜崎顕はカリスマ的な魅力を持つチェリストで、独特な演奏論の持ち主。

 「ビートルズとニルヴァーナを10曲ずつ子供に与え、歌っているのがジョン・レノンかカート・コバーンかを仕分けさせたらどうなるか。
 子供は、正確にそれをやり遂げるだろう。
 だが、カザルスとフルニエでやったら? 子供たちはどの曲をどちらの奏者が弾いているか、完璧に仕分けられるだろうか?」
 「それは・・・出来ないと思います」
 「つまりクラシックのオリジナリティとは、歴史に残るレベルの奏者であっても、誰が弾いているかわからない程度のものなのだ。
 クラシック音楽に個性はいらない。<上手なチェロ>という抽象概念があれば、それでいい」
 (7ページ)

一理ある気がしますねー。
かつてイギリスで、某評論家が酷評したCDを、別の演奏家のものだと言って聴かせたら絶賛したというエピソードを思い出します。

 「では、何が必要なのですか」
 「テクニックと、演技力」
 (10ページ)

このふたつを身につけて、名優が泣きの演技をするように「名演奏」を演じれば一丁上がり。
「独自の個性」とか「深い精神性」とかなくても絶賛してもらえるし、そもそも聴衆にはそんなものはわからないってわけです。
はい、私はわかりません。

 ・・・まあ、そんなことができればすでに大演奏家だと思いますが。

彼の四重奏団はピッタリそろった正確無比な演奏で一部に熱狂的なファンを持ちますが、異端視する人も少なくありません。
もともと自由奔放で個性あふれる演奏をしていた黛由佳は、なぜか突然「鵜崎四重奏団」に入団し、
個性を殺した一糸乱れぬアンサンブルに身を捧げます。

そして突然の死。

彼女にほのかな思いを抱いていた売れないチェリスト坂下英紀は、由佳がなぜ個性を否定する「鵜崎四重奏団」に入ったのか、
そのことと彼女の死には関係があるのではないかと考え、鵜崎のオーディションに臨みます。
皮肉なことに、これまで「個性がない」「自分の意志が感じられない」と言われ続けた坂下の演奏を鵜崎は気に入ります。

 「何の意思も伝わってこないのがいい。それでいて、技術は高い。死骸のようなチェロを弾く」 (146ページ)

「死骸」って・・・。
いやー、クラシック音楽の世界ってこんなにキビシイんですかねー、ホントに。
毎夜ほろ酔いでフニャラカ気分のチェロ弾いてる私には恐ろしい世界です、くわばらくわばら。
でも「名演奏」とは「表現」とは、についていろいろ考えさせてくれる面白い小説でした。
クラヲタの方には力強くオススメしたいです。

 神山の指揮は本番でもあやふやな部分が多く、オーケストラと合っていない個所もあった。若手が神山のように振ったら、曲は崩壊していただろう。
 それでも曲を成立させてしまうのが神山の凄みと言えばその通りだが、反面、神山がいま指揮者コンクールに出たとしても、
 一次審査すら通ることはできないのではないかとも思った。
 それでも今日は、神山のタクトから掛け値なしの名演が生まれた。
 全員が神山のもとでひとつになり、曲に食らいつき続けていた。あの演奏の根底にあったものは、なんだったのか。
 <錯覚>だったのではないか。
 団員たちは本当に、神山の指揮を見ていたのだろうか。神山と一緒にブルックナーができるという<物語>のほうを見ていたのではないか。
 (265ページ)


なお「鵜崎四重奏団」は、4人が一つの楽器のような一糸乱れぬアンサンブルが売り物ですが、
メンバーの個人技が光るチェロ四重奏ってのも素敵です。
例えばこんなの
   ↓
 (スピッカートがもう神技)

(2024.01.27.)


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