カズオ・イシグロ/夜想曲集
音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
(早川書房 2009年)


Amzon.co.jp : 夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

ヴェネツィアのサンマルコ広場を舞台に、
流しのギタリストとベテラン大物シンガーの
奇妙な邂逅を描いた「老歌手」
才能はあるけど芽の出ない中年サックス奏者が、
図らずも一流ホテルの秘密階でセレブリティと共に過ごした数夜を
ユーモラスに回想する「夜想曲」など、
書き下ろしの短編五篇を収録。
人生の黄昏を、愛の終わりを、若き日の野心を、
才能の神秘を、叶えられなかった夢を描く
、著者初の短篇集

「メグ・ライランのチェスセットって何だ。駒が全部メグなのか」(164ページ)


カズオ・イシグロで笑えるとは!

古き良きものがゆっくりと滅びてゆく様を格調高く描く 「日の名残り」
主人公たちの悲しくも恐ろしい運命を冷静な筆致で淡々と描く 「わたしを離さないで」
などとはまた違った、軽妙なテイスト。

でも、ノスタルジック諦念に満ちた雰囲気は、やっぱりイシグロ。

五つの短編に共通するテーマは音楽。
そしてもうひとつは「愛の黄昏」
どの短編にも何らかの問題を抱えたカップルが出てきます。

第1編と第5編はともにヴェネツィアが舞台。
またこの2編はともに旧共産圏から西側に移ってきた若者が主人公。
全体の構造は緻密に計算されています。
まるで5つの楽章を持つ交響曲のようです。

交響曲のたとえで言えば、第1,3,5楽章ではじっくりと落ち着いた味わいを聴かせ、
第2,4楽章はコメディタッチ、スケルツォのようです。

第2編「降っても晴れても」は、アメリカのシチュエーション・コメディ風。
20年ぶりに友人夫婦のアパートを訪れた独身中年男。
夫妻が留守の間にふと妻エミリの手帳をのぞくと、中には自分の悪口が。
思わずページを破いてしまいます。
「エミリが知ったら、おまえは金玉鋸挽きの刑だ」(70ページ)
何とかごまかそうと小細工するうち、ますます泥沼にはまりこんでしまい・・・。


第4編「夜想曲」では、
才能はあるのに、醜男であるせいで売れないサックス・プレイヤーが
超一流形成外科医に手術してもらえることに。
手術は終わり、いまは顔を包帯でぐるぐる巻きにされたまま高級ホテルで療養中。
どうやら隣の部屋にも同じ医者に手術を受けたばかりの患者が。
なんとそれは超有名なセレブ・タレント、リンディ・ガードナー
同病相哀れむで意気投合したふたりは、
真夜中の高級ホテルで奇妙な冒険に駆け回ります。
顔を包帯でぐるぐる巻きにした男女・・・
そんなのに真夜中の高級ホテルで出会ったら腰を抜かしますね、きっと。


どの小説も明確な結論(というかオチ)はなく、
フェイドアウトするように終わります。
手術の結果、スティーヴはハンサムになれたのか、
「チェリスト」の主人公ティボールはいまはどんな奏者になっているのか。
すべては読者の想像にゆだねられています。

美しくノスタルジックな(そしてちょっと笑える)物語の裏側に
垣間見える、人生の世知辛さ・現実の苦さ。


本を閉じたあと、しばし考えをめぐらせていると、
五つの小説の余韻が部屋の中を漂い、和音を響かせることでしょう。

(09.7.20.)

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