かげはら史帆/ベートーヴェン捏造
(柏書房 2018)




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親分:「運命は斯く扉を叩く」って知ってるか?

ガラッ八:へえ、大晦日に借金の取り立てがやってくるんですよね〜、あれ嫌ですよね〜。

親分:違うわっ!
  ベートーヴェン(1770〜1827)が交響曲第5番ハ短調の冒頭について、こう述べたんだよ!
  なのでこの曲は(日本では)「運命」と呼ばれ、広く親しまれている。

ガラッ八:へえ〜、自分の曲とはいえ、上手いこと言いますね。

親分:ただしベートーヴェンがそう言ったというエピソードは、アントン・シンドラー(1795〜1864)の書いた「ベートーヴェン伝」(1840)に出てくるだけで、
  ほかには何の裏付けもないんだ。

ガラッ八:はあ、行燈の芯で書いたんですかい。

親分:「アンドン」じゃねえって! 
  アントン・シンドラーはベートーヴェンの側近で最初の伝記作者として有名な人物だ。

ガラッ八:伝記を書いた人がそう言ってるなら、そうなんじゃないんで?

親分:ところが、実はシンドラーは「押しかけ秘書」みたいな存在だったらしく、その期間もベートヴェン晩年の数年だけ。
  そして「ベートーヴェン伝」は、かなり話を「盛っている」というか、あちこち嘘で塗り固めた代物であることが、のちに明らかになった。

ガラッ八:へえ、なんでまたそんなことを。

親分:シンドラーがベートーヴェンに心酔していたことは事実だ。
  なので「楽聖」として理想化・神聖化するべく、それらしいエピソードを創作したり、都合の悪い話は手を加えたりしたらしい。

ガラッ八:つまりフェイクニュースをこさえちゃったわけですかい。

親分:それだけじゃない。
  ベートーヴェンの死後、「会話帳」(聴覚を失ったベートーヴェンが使っていた筆談用のノート)をあちこち改竄したり、
  自分に都合の悪い「会話帳」を何冊も故意に破棄したことが、最近の研究でわかってきた。

ガラッ八:へえー、そりゃひどい。

親分:シンドラーがベートーヴェンに初めて会ったのは1822年らしいが、古い会話帳に自分の言葉を書き足して、あたかももっと以前からの知人だったように見せかけている。

ガラッ八:アリバイ工作みたいですね、ずる賢いやつでやんす。

親分:おまけに、自分の気に入らないベートヴェン関係者を貶める書き込みをあとから加えたりもしている。

ガラッ八:陰険な野郎ですね〜。

親分:そうやって、自分こそベートヴェンが最も信頼した人物と世間に思わせ、自己の存在を大きく見せようとしたんだろう。

ガラッ八:悪いやつですね〜。あっしがこの手でお縄にしてやりてえ。

親分:「ベートーヴェンの信頼あつい秘書&伝記作家」と思われていたのに、いまや「嘘つき&捏造犯」に転落したアントン・シンドラー
  彼が実際はどのような人物だったのかを、一部小説仕立てで書いた評伝がこの、
  かげはら史帆「ベートーヴェン捏造」 だ。

ガラッ八:そんな盗っ人野郎の評伝なんて、面白いんですか。

親分:これが面白いんだよ。
  ラノベ風の軽やかな筆致で、読者を飽きさせずスイスイ読める。
  ただし内容は著者がベートーヴェン会話帳について研究した修士論文に基づいていて、学問的にもきちんとしている(はずだ)。

ガラッ八:へえ、ちょっと読んでみたくなったでやんす。

親分:二流のヴァイオリニストだったシンドラーが、指揮者としては意外に有能だったことや、「第九」初演のプロデュースに腕を振るったことは「へえ〜」だったな。
  弁護するようだが「ベートヴェン伝」でエピソードを盛ったのは、一種の「プロデュース」と言えば言えないこともない。
  シンドラーが作り上げた「聴力を失うという苦難にもめげず名曲を書き続けた不屈の大作曲家」というイメージは、今日でも十分有効だからな。

ガラッ八:現代の芸能人のこと書いた本や記事も、内容けっこう盛ってたりするんでしょうね。

親分:なぜ一連の捏造に及んだのかを、シンドラーの内面に踏み込んで小説的に描いているところなんか、とくに読み応えがあったな。
  ベートーヴェンに対する愛と憎しみが交錯する心理には、映画「アマデウス」の「サリエリ」に通じるものを感じたよ。

ガラッ八:ただのペテン師ではなかったのかもしれませんね。
  たしかユダヤ人をたくさん助けたりもしたんでしたっけ?

親分:「シンドラーのリスト」じゃねえよっ!
  おまえホントに今までわかって喋ってたのかっ?!

(2018.12.30.)


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