ミヒャエル・ハイドン/レクイエム ほか
(C・ツァハリアス指揮 ローザンヌ室内管弦楽団 ほか)
(MDG 340 1245-2)



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わしの名はミヒャエル・ハイドン(1737〜1806)。
あ、違う違う、「交響曲の父」とか「パパ・ハイドン」とか呼ばれているのは、ヨーゼフ・ハイドン、わしの兄じゃ。
え、ハイドンに弟がおったのかって? 
やれやれ、これでも生前はそれなりに有名だったのだが・・・すっかり忘れ去られてしまったか。

今日は、わしが1771年に作曲した「レクイエム ハ短調」をお聴かせしよう。

 

冒頭からいきなり、ある曲に激似だと思わんかね。 そう、モーツァルトの「レクイエム」だよ。
こらこら、人聞きの悪いことを言うでない、モーツァルトの「レクイエム」は1791年の作曲、わしのほうが20年も早いのじゃ。
そう、つまり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのほうが、わしの曲を真似したんじゃよ。

実はヴォルフガングとわしは、親友だったのだ。
わしは1763年、26歳の若さでザルツブルグ宮廷楽団のコンサートマスターに就任した。
そこの同僚にレオポルド・モーツァルトという男がおってな、彼の息子がヴォルフガングだった。当時7歳だったかな。
恐るべき才能を持った少年だったよ。 
のちにヴォルフガングも宮廷楽団に入った。 二代にわたって同僚というわけだ。
若い頃のヴォルフガングは、わしの作品を筆写して、作曲のお手本にしたものだよ。

わしのほうがヴォルフガングの世話になったこともあった。
あれは1783年だったか、ザルツブルグの大司教がわしに、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲を6曲注文してきた。
ところが4曲書いたところで、わしは病気で寝込んでしまった。 これでは期日に間に合わない。
そうしたらなんと、ヴォルフガングがたった2日で2曲の二重奏曲を作曲して持ってきてくれた。
ヴォルフガングは2年前に大司教と大ゲンカをして辞職していたにもかかわらず・・・あれは嬉しかったな。
彼のその2曲(K.423と424)の自筆楽譜は、わしの宝物。 死ぬまで手元に置いておいたさ。

だから、ヴォルフガングが、わしの曲を参考に「レクイエム」を作曲したことは、名誉に思いこそすれ、全然怒ってなどいないよ。
なにしろ、わしの「レクイエム」がなければ、君たちが聴いているモーツァルトの「レクイエム」は、まったく違った曲になっていたはずだからね。
はっきり言っておくが、わしの「レクイエム」、なかなかの傑作だぞ。
そうでなければヴォルフガングも手本にしたりせん。

そうそう、モーツァルトの「交響曲第37番」の話は知ってるかね。
ヴォルフガングの死後、ケッフェルという御仁がその作品を整理したんだが、彼が「交響曲第37番」の番号をつけた交響曲は、実はわしの曲だったんじゃ。
ヴォルフガングは自分の演奏会でこの曲を演奏しようと、自ら筆写したうえ、新しく序奏部分を作曲したので、ケッフェル氏はすっかりだまされてしまったのさ、愉快な話だ。
最近めったに演奏されないな・・・自信作なんだがねえ。
じつは、嬉しいことにこの「レクイエム」のCDには、その交響曲ト長調P.16も収録されている。
ヴォルフガングの作曲した序奏は省かれているのが、ちょっと残念だったりするがな。

もうひとつ、モーツァルト・ファンには面白い話をしてあげよう。
わしの「交響曲ニ長調 P.43」の第3楽章フィナーレだが、モーツァルトの「ジュピター交響曲」終楽章にとても良く似ているのだ。
もちろんわしのほうが元ネタだぞ。
曲の出来は「ジュピター」のほうが若干上であることは認めるがね。
興味のあるかたは、是非聴いてみるがよかろう。

 ミヒャエル・ハイドン/交響曲ニ長調 P.43 ・ 第3楽章
 

それでは諸君、縁があれば、また会おう。
何しろ来年はわしの没後200年だからな、さぞや盛大な記念行事が・・・え、ない!?

(05.11.19.)


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