映画「王は踊る」
(ジェラール・コルビオ監督 2000年)


(廃盤)


踊ることで臣下の心をつかもうとした王ルイ14世と、音楽で王の心をつかもうとした音楽家リュリ。
時代を輝かせた二人の男を絢爛豪華に描いた傑作。


2022年現在DVDは廃盤で、配信などもされていないようです。
そのような作品を紹介するのは心苦しいのですが、好きな映画なもので・・・。

 王は踊る (ジェラール・コルビオ監督 2000年)

主人公はフランス王ルイ14世(1638〜1715)と作曲家ジャン=バティスト・リュリ(1632〜87)。
王は若いころからダンスが好きで、貴族たちの前で自ら踊りました。
じつは実権は王母と宰相マザランが握っていて、「余にできることはダンスとギターだけだ」とやさぐれていたのですが。

リュリはそんな国王に音楽を提供するだけでなく、踊りやすい靴を贈るなどして支えます (リュリもまた、すぐれたダンサーでした)。

 (リュリが贈った靴で踊る少年王ルイ14世)

数年後、宰相マザランが没するとルイは親政に乗り出します。
彼のダンスは徐々に遊びではなくなります。
太陽に扮したルイが見事に踊ることで、神の化身であることを貴族たちに示し、「王権神授説」の根拠とするのです。

リュリは王を盛り立て、劇作家モリエールと組んで宮廷のイベントをすべて取り仕切る総監督にのし上がります。

 (成人した王の力溢れる踊り、音楽を指揮しながら保護者のように見守るリュリ)

リュリは王から勧められた女性と言われるままに結婚し子供も生まれますが、真に愛するのは国王ルイただひとり。
人里離れた沼地ヴェルサイユに巨大な宮殿を建てよと命じるルイが、汚い沼にはまったことが原因で病気になり死の縁をさまよったとき、
リュリは難産に苦しむ妻を尻目に王のもとに駆けつけ部屋の前で夜通し音楽を演奏して快癒を祈ります。
3人目の子供が亡くなった夜も、王に捧げる次の作品についてモリエールと議論するのに夢中です。

王はリュリの気持ちを知りながらも

 「余は男色家の音楽は好かん。お前を見捨てない妻も、余も寛大であることよ。宮廷の音楽総監督ならふらちなことは慎め」

と突き放します。
そんなルイも30歳を過ぎると思うように踊れなくなり、ジャンプで失敗したことで踊りから遠ざかります。
すでに権力が安定し、ダンスで力を誇示する必要がなくなったこともありました。

 (全身金粉塗りのルイがジャンプでバランスを崩す)

リュリの作品はバレエに王を讃えるナレーションを付けるスタイルでしたが、歌と演劇とバレエが融合した「オペラ」という新しいジャンルが台頭、王はオペラ鑑賞を好むように。
リュリは踊らなくなった王から徐々に遠ざけられ、音楽会に王が臨席することもなくなりました。
王の来ない音楽会で王をたたえる「テ・デウム」を奏でながらむなしく指揮棒をふるうリュリ。
当時の指揮棒は長い鉦の笏(しゃく)で床を叩いてテンポを取るもので、リュリはあやまって自分の足の甲を突き刺してしまいます。

 (イタソウ〜・・・)

傷が化膿し壊疽となり切断を勧められても、王とともに踊った脚は切れないと拒否するリュリ。
妻の姪でオペラ歌手のジュリーが見舞いに来ます。

 「陛下が来るわ、いい顔をして」
 「もう二度と来ない 知ってるはずだ もう私は愛されていない 私の音楽は用済みだ」

リュリが死んだあと、ヴェルサイユ宮殿から広大な庭園をみながら王はつぶやきます。

 「リュリがいない。今夜は音楽が聞こえぬな」

 ラスト・シーン
 

絢爛豪華な衣装とセット、ヴェルサイユ宮殿でロケもした映像は素晴らしいの一言。
ダンス・シーンは学術的な考証を重ねたうえで見事に再現、17世紀のフランス王宮が目の前に。
それでいて猥雑でドロドロした宮廷の裏側・権力争いなど闇の面も描かれ、大変見ごたえがあります。
ルイ14世を演じるブノワ・マジメル、リュリを演じるボリス・テラルはともにはまり役で、超カッコイイです。

(2022.08.07.)


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