前回ご紹介した、藤谷治「船に乗れ!」
傑作でした。 力のある重い小説でした。
でもこの作品世界に取り込まれてしまうと、なかなか戻ってこられないんですよ。
このままだと、メンデルスゾーンのピアノ・トリオやバッハのブランデンブルク協奏曲を聴きながら「くすん」と涙ぐむ中年男という、
見るもおぞましい光景が現出しそうなので、可及的速やかになんとかしなければ!
ここはひとつ軽いミステリでも読んで毒気を抜くか! と思いまして(いやべつに「船に乗れ!」が毒物指定ってわけじゃなくて)
選んだのはイギリス・ミステリ界最高の変化球投手アントニイ・バークリー。
中期の傑作といわれる「ジャンピング・ジェニイ」(1933)であります。
<ストーリー>
富豪ロナルド・ストラットン主催の仮装パーティは出席者が過去の有名な殺人者に扮するという悪趣味なもの。
屋上には絞首台が作られ藁人形を吊るす演出まで。
ところがパーティーが終わったとき絞首台に吊るされていたのは人形ではなく本物の死体だったからさあ大変。
ロナルドの友人でパーティーに招かれていた名探偵ロジャー・シェリンガムの出番となります。
いやー、これは変化球だわ。
ぶら下がって死んでいたのはロナルドの弟デイヴィッドの悪妻イーナ。
ヒステリックで虚言癖があって、ふた言目には「死んでやる」と口走り、皆から敬遠というか嫌悪されていた女。
そんな女が首をつって死んでるのだから、「ああ自殺だな」で一同納得と思いきや、探偵ロジャー・シェリンガムはこれが殺人である証拠をついうっかり発見してしまいます。
皆の鼻つまみものイーナを殺してくれた勇気ある犯人をかばうため、何食わぬ顔で自殺に偽装するロジャー(おいおい)。
そのため事件はさらに複雑怪奇になり、どうみても犯人はロジャー自身という状況に!(ひえー)
・・・という楽しい(?)ミステリです。
一筋縄ではいかないミステリの巨匠バークリーの面目躍如。
最後の一行で明かされる真相は、えもいわれぬブラック・ユーモアの余韻を漂わせますが、ある程度ミステリを読みなれた人でないと、腹が立っちゃうかもですね。
逆に言えば、この作品を面白がれれば、あなたはめでたくすれっからしのミステリ・ファン。
それにしてもロジャー・シェリンガム、史上最高におめでたい名(迷)探偵。
嬉々として偽の証拠を捏造する姿の可愛らしいこと。
ピアノに細工するシーン(269ページ)では、思わず大笑いしてしまいました。
素敵すぎます。
黄金期ミステリが生んだ鬼っ子アントニイ・バークリー。
憎たらしいばかりの余裕と遊び心でもって本格ミステリを自在におちょくる姿をご堪能あれ。
あと被害者のイーナはちょっと可哀想でした。
とはいえ現実にこんな女性が身近にいたらたまらんよなあ、確かに。
(09.11.29.)