スーザン・ヴリーランド/ヒヤシンス・ブルーの少女
(長野きよみ・訳  早川書房 2002年)



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フェルメールは、いいですね。 好きです。
何がいいって、「フェルメールが好きです」と言うと「お、知的な人」と思ってもらえそうなところが何よりいいですね。
これはフェルメールの、架空の絵にまつわる連作短編集です。
(表紙には有名な「真珠の耳飾の少女」が使われていますが、この絵は小説には出てきません)

第1話「十分に愛しなさい」の舞台は現代のアメリカ。
中年の数学教師、コルネリアスは、一枚の油絵を隠し持っています。
ブルーのスモックを着た少女が窓のそばのテーブルに横向きに座っている美しい絵。
これはフェルメールの、いまだに知られていない逸品だと、彼は信じています。
じつはこの絵、ナチス将校だった父が、収容所に送られたユダヤ人一家の屋敷から、こっそり着服したもの。
父親は戦後アメリカに逃れ、スイス人のふりをして暮らし、亡くなりました。
コルネリアスは父親の行為に良心の呵責を感じながらも、絵を公開する勇気を持てません。
絵のことが誰にも知れないように、結婚もせず、友人も作らず、
これまでも、そしてこれからも息を潜めて暮らしていくのです・・・。

第2話「すべての夜と違う夜」は、第2次大戦中、ナチス占領下のアムステルダム。
ユダヤ人のダイヤモンド商人の娘ハナは内気な少女。
ユダヤ人への迫害が日々激しくなっていくなか、緊張を強いられる生活ですが、
父親が買ってくれた、テーブルの前に座る少女の絵の前では安らかな気持ちを取り戻すことができます。

第3話「警句」は、19世紀末のオランダ、娘の結婚祝に少女の絵をプレゼントする夫婦の物語。
絵に描かれている少女が夫の初恋の人に似ている、という話から二人の間に波風が立ちます。

一話ごとに時代はさかのぼってゆき、
第7話「静かな生活」は、妻と11人の子供を抱え、生活苦に悩みながらも、少女の絵を描き始めるフェルメールの物語。
そして最後の第8話「マフダレーナが見ている」は、モデルとなったフェルメールの娘の物語です。


・・・一枚のフェルメールを狂言回しに、多くの人の喜び・悲しみ・生と死が交錯します。
今この人が持っている絵が、どういう経緯でここにあるのか、次の短編でわかる、という構成は面白いです。
それぞれの事情で絵を手放す人々の心の動きも、ていねいに書き込まれています。
そしてフェルメール自身が、貧困に苦しみながら、自らの芸術を突き詰めてゆく姿。
フェルメールに関しては、伝記的なことは詳しくわかっていないはずなので、
ほとんど作者の創作でしょうけど、とてもリアリティがあります。
「家族の絆」が描かれた短編が多いな、とも思います。
短いけれど心に響く一冊です。 ほんと、長けりゃいいってもんじゃないですね。
 (前回のご紹介が「ハイペリオン」だっただけに・・・)

疑問に思ったのが、ずいぶん手荒に扱われてもいるこの絵が、
ろくな修復も受けていないだろうに、いまも美しさを保っていること。
まあ、これは、言うだけ野暮ですね・・・・。
(02.12.17.記)


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