アガーテ・バッケル・グレンダール/ピアノ作品集
(サラ・アイメ・スミセス:ピアノ)



Tower : グレンダール/ピアノ作品集

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妻にして母にして作曲家でピアニスト

ノルウェーの作曲家・ピアニスト アガーテ・バッケル・グレンダール(1847〜1907)。
エドゥアルド・グリーグ(1843〜1907)とは親交があり、ソプラノ歌手だった妻ニーナと共演もしました。

グリーグがグレンダールを評して、

 「もしミモザが歌うことができたなら、流れる調べはグレンダールの愛すべき親愛なる音楽のようだろう」

と語ったことは有名です。

 3つの即興曲 作品15より「セレナード」  (なるほどミモザのような調べだ! ←わかっとるのか?)
 

アガーテ・バッケルは、ノルウェーの小さな村で、領事ニルス・バッケルの娘として生まれます。
四人姉妹の三女という、リアル若草物語の家庭でした。
次女のハリエットはのちに画家となり、その作品はオスロの国立美術館にも所蔵されているそうです。

 ハリエット・バッケル「自宅にて」  (モデルはおそらく妹のアガーテ)
 

家系にプロの音楽家はいないものの一家は音楽好きで、アガーテは幼いころからピアノを弾いて遊んでました。
いつしか来客たちに 「こ、この子、只者じゃない・・・ 恐ろしい子」(月影先生風に)と言われるものの、両親はとくに専門的な音楽教育は受けさせなかったそうです。
9歳の時に一家はオスロに転居、アガーテはいわゆる「ピアノの先生」に習い始めますが、才能に驚嘆した先生に
「この子 ちゃんとした先生に習わせたほうがいいです!」(のだめ第9巻風に)と言われて偉い先生につき、
16歳の時「この子をなるべく早く外国に連れて行きましょう!」(同上)とベルリンへの留学をすすめられます。
ベルリンの音楽院でピアノと作曲を学び、超優秀な成績で卒業、3年後の帰国コンサートではベートーヴェンの「皇帝」などを演奏し絶賛されます。

 前奏曲 作品20の1 (激しい感情の起伏をピアニスティックに表現した名曲)
 

まさしくクララ・シューマンの再来、さあ音楽界に華麗にデビューだぜ!
・・・と思いきや、プロフェッショナルな活動には興味を示さず、オスロで両親とともに暮らしながらピアノを教え、作曲し、たまにオスロ音楽協会のコンサートに出演する程度。
知人から共演を頼まれれば快く引き受けるものの、自主的にコンサートを開いたりはしません。
ただ作曲は好きでずっと続けていたそうです。
作品はピアノ小品と歌曲が中心で、規模の大きな作品は書いていません。

 6つの牧歌 作品24より「アレグレット・トランクイロ」 (粉雪が舞い落ちる光景のよう・・・)
 

1870年、高名なヴァイオリニスト オーレ・ブルが彼女の演奏を聴き、アメリカ合衆国へ演奏旅行すれば成功間違いなしと熱心に口説くも拒否。
ならば音楽家としてのレベルアップのためフィレンツェに住む大ピアニスト兼指揮者、ハンス・フォン・ビューローに弟子入りしなさいと紹介状を書いてくれます。
アガーテはイタリアに行きビューローに半年間師事、その後ワイマールにフランツ・リストを訪ねてその指導も受けます。
リストの下での勉強を終えたアガーテは、アメリカのピーポディ音楽院とフィンランドのヘルシンキ音楽院から教授就任の要請を受けるも断り、あっさり帰国。

 (・・・まぎれもない天才なんでしょうが、なかなかの不思議ちゃんですね)

 ノクターン 作品20の2 (シンプルで人懐こいメロディが耳を惹きつけます)
 

1875年、音楽教師で合唱指揮者のオラヴス・アンドレアス・グレンダール(1847〜1923)と結婚。
結婚後アガーテは音楽活動をいったん停止、三人の息子を産み、子育てと家事に専念します(作曲は続けていたらしい)。
1883年から活動を再開、夫とともにヨーロッパ演奏旅行に出たりします。
イギリスの作家ジョージ・バーナード・ショウは彼女の熱狂的ファンとなり、直接インタビューもしました。

 ショウ「あなたはいつ作曲なさるのですか」
 アガーテ「夜の静けさの中で、一日の仕事が終わってから。とりわけ12月の夜、一年のすべての仕事が終わってから」
 ショウ「あなたの言うところの『仕事』とは何なのですか」
 アガーテ「なされなければならない一切の事柄ですわ。家事、子供の世話、ピアノの演奏、そして毎日3時間ずつのレッスン。
       妻であり、母であることが、私を芸術家たらしめる経験を与えてくれているのです」

 ・・・芸術のためには家庭をかえりみないとうそぶく芸術家あまた存在するなか、異彩を放っています。
   話だけ聞いていると主婦の趣味みたいですが、産み出された作品は珠玉の名曲ぞろい。
   そしてもし彼女に家庭と子供がなかったら、これらの作品もまた生まれなかったのかもしれません。

 フルドラの踊り (ノルウェーの民族舞踊っぽい曲。グリーグの抒情小曲集と共通したものを感じます)
 

「家庭生活と芸術の両立」といえば言葉は美しいですが、並大抵のことではなかったはず。
アガーテさん、とってもタフなスーパーウーマンです。

アガーテの息子のひとりはピアニストとなり、母の曲を積極的に演奏しました。
また孫は楽譜出版社の社長となり、祖母の作品をたくさん出版したそうです。

(2022.08.13.)




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