家原流太/どうしても僕は東京藝大に入りたかった
3度目の挑戦でつかんだ合格までの記録
(ホビージャパン 2024)
Amazon:どうしても僕は東京藝大に入りたかった 3度目の挑戦でつかんだ合格までの記録
これすごい本だ・・・。
著者家原流太氏は、2024年10月現在、東京藝術大学の美術学部デザイン科の4年生。
島根県に生まれ、絵を描いたりものを作ったりするのが子供のころから得意だったそうです。
この本は、家原氏が地元の普通科高校から、いちどは一般大学に進学するものの、
半年で休学して東京藝術大学を目指し、2回落ちて、3回目の挑戦で合格を勝ち取るまでを赤裸々に描いた合格体験記です。
単なる体験談と違うのは、高校時代から美術予備校に入って合格するまでに描いた作品をふんだんに掲載していること。
藝大合格までの経緯をここまで詳細に記録し、作例まで載せた本はほかにないのではないでしょうか。
絵を描くのは好きだったけれど高校卒業までとくに誰にも習うことはなく、ほぼ初心者の状態で東京の美術予備校に入った若者が、
数えきれないほどの苦悩と挫折を味わいながら自らのスキルを高めてゆき、最後にラスボス・東京藝大に合格する、胸熱のドラマが展開します。
藝大を目指す人にとっては大変実用的な本であると同時に、私のように単なる好奇心から手に取った人間にも迫力のビジュアルが圧巻です。
文章も読みやすく、著者が浪人生活で感じた生々しい感情の数々、受験会場での吐きそうなほどの緊張感がリアルに描かれ、こちらの胸が苦しくなるほどです。
この人、文才もホンモノだと思います。
高校を卒業して静岡大学に現役入学するも、東京藝大への思い断ち難く、半年で休学。
なんとか親を説得して単身東京に引っ越し、美術予備校に入学しますが、最初のころは・・・
見るからにダメな自分の作品が、見とれてしまうような美しい作品と同じ壁に並べられて、
それをみんなの前で講評されるのがどうしようもなく惨めで、恥ずかしくて、辛かったです。
絵を描く楽しさ、作品をつくる喜び、みたいなものはもうまるで無かったです。
だってどれだけ描いても全然誰にも敵わないし、むしろ描けば描くほど自分の非力さを思い知らされるだけなのですから。 (34ページ)
仕送りも少ないのでアルバイトをしながら美術予備校に通いますが、藝大デザイン科の競争率は14倍、そう簡単にはいきません。
周りはみんなライバル、孤独感と焦燥感で病みそうになり、泣きそうになり、実際泣きながら毎日の課題をこなす日々。
そして2年後、3度目の受験の前にひとつの境地に達します。
そういえばもうこの頃には、美術を始めたてだった頃、そのあまりの上手さに驚愕し絶望した、
あの浪人生たちと同じくらいの領域にもう達していたのだと思います。
こんなに上手くなれるわけがない、一生勝てるわけない、と見上げていた場所は、ほんの2年ほどで届く高さでした。
それが何だがバカバカしくて、少し笑いました。そしてここまでの2年間を振り返り、よく頑張って来たじゃないかと自分を褒めてやりたくもなりました。
「努力」とか「一生懸命」とか、そういうのとは僕は無縁の人間だと思っていました。
高校まで、精一杯なにかに取り組んで成し遂げたという経験がなかったからです。
何をやっても中途半端で、いつも言い訳ばかりで、そのくせそんな自分に満足もできない人間でした。
そんな人間が今こうして、こんなにも必死で、ひとつの目標に向けて走っている。僕は少しづつ、僕のことを認めてやれるようになっていったようです。
そして受験で勝つには、たぶんそれが必要だったのです。 (121ページ)
重みのある言葉です。
血のにじむような努力をした人にしか言えない言葉だと思います。
紙に書いて机の前に貼っておこうかと思ったほどです。
重ねて言いますがすごい本です。
藝大とか美術に興味がなくても引き込まれること請け合いです。
読後、自分の生き方を思わず見直してしまいました(手遅れでした)。
実際に受験する方には心強いガイドとなるでしょうし、
絵画やデザインに興味がない人にとっても、「知らない世界」を臨場感たっぷりに描いたエンタテインメントとして堪能できると思います。
それにしてもデザイン科、倍率14倍ですよ!
家原氏は努力の末に合格を勝ち取りましたが、叶わず夢破れた人もたくさんいるわけですね・・・。
ところで、中園孔二(1989〜2015)という夭折の天才画家がいます。
小学校から高校までバスケットボールに打ち込んでいましたが、高校2年生の6月、突然「絵が描きたい」と言い出し、自室の壁に絵を描き始めます。
ほとんど徹夜で天井から壁から部屋一面を絵で埋めつくした中園は、
それまでバスケに注いでいた情熱をすべて美術に向け、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻に現役で合格します。
油絵専攻なので、デザイン科とはまた違うのかもしれませんが、とにかく別格、超弩級の天才だったことは間違いのないところ。
かりに中園孔二が藝大合格体験記を書いたとしても、普通の人間には全く参考にならなかったことでしょう。
(2024,12,01.)