ポール・ホフマン/放浪の天才数学者エルデシュ
(草思社 2000年)



Amazon.co.jp : 放浪の天才数学者エルデシュ


突然ですが、世の中には「放浪」にふさわしい職業とそうでない職業があります。
たとえば旅芸人とか冒険家。放浪しないと職業自体が成り立ちません。
画家とか俳人も、時と場合によっては放浪するにやぶさかではありません(山下清とか、山頭火とか)。
でも、消防士や不動産屋が放浪していてはちょっと困ります(仕事にならんって)。

さて、「学者」という職業の放浪度はどのくらいでしょうか。
実験する学者さんは実験室を構えますから放浪不可能。
ところが、数学者というのはどうやら紙とエンピツがあればどこでも仕事ができるらしいのです。
おまけに数式は世界共通、言葉が通じなくても討論できるので、じつは数学者というのは、放浪しながらでもできるのではないか。

それが証拠に、自分の家を持たず、25カ国の友人知人の家を渡り歩き、83歳で死ぬまで現役バリバリの数学者を張ってた
放浪の天才数学者・ポール・エルデシュ(1913〜1996)という人物の伝記がここにあるわけです。
この人、数学の世界では大変な有名人で人気者だったそうですが、一般にはほとんど知られていません。
きっと世界中の数学者が必死で隠蔽工作を行っていたのでしょう。
こんなに面白い人をひとりじめにするなんて、ひどいじゃありませんか。 これからは、そうはいきませんぜ。

古びたブリーフケースには替えの下着とノートのみ。
ある日突然、知り合いの数学者の家の戸口に現れて言うことには
 「君の頭は営業中かね?」
そして何日か(エルデシュが退屈するか、彼を泊める数学者が疲れ切ってしまうまで)一日19時間(!)一緒に問題を解き、
それから次の数学者の家へと去ってゆくのです。
生涯に1500もの論文を発表、しかも驚くべきは数ではなくその質の高さであると言われる業績。
「不確定性原理」のゲーデルを励まし、あのアインシュタインを感服させ、
「神」を親しみをこめて「SF(スーパー・ファシスト)」とののしる、奇人にして天才。

でも数学以外ではまるっきり子供並み(われわれ凡人はちょっとホッとします)。
全自動洗濯機の使い方がどうしても覚えられない、使った後の洗面所の床は水浸し、
トマトジュースのパックの開け方がわからず包丁でパックの腹をぶすり、床は真っ赤・・・
生涯一度も、お湯を沸かしたことすらなかったそうです。

講演などで得るわずかな収入は、気前よくあちこちに寄付してしまいます。
ハーバードで学びたいが、学費が足りない数学志望の学生に、ポンと1000ドル貸してやったこともあります。
10年経ってその学生が、「あのときの1000ドルが返せるようになりました」と連絡してくると、
「その1000ドルで、わしがしたのと同じことをせよ」

エルデシュは、友人と一緒に数学の問題を考えることを無上の喜びとしていて、
いつも誰かとの共同研究というかたちで仕事をした人。
対照的なのが、「フェルマーの最終定理」を証明した数学者、アンドリュー・ワイルズ
彼は誰にも相談せず、自宅の屋根裏に7年間こもって、ついに偉業を成し遂げました。
エルデシュはそんな彼に批判的だったそうです。
ワイルズが数学界全体を巻き込んで研究していたら、もっと早く証明できたかもしれないからです。
ふと考えてしまうのですが、自宅でひたすらフェルマー問題に取り組んでいたワイルズのもとに、ふいにエルデシュが現れて、
「君の頭は営業中かね?」とやったら、どうなっていたでしょう??

ほかにも面白い数学者の話がいろいろ載っていますが、特に気に入ったのは、数論の権威・クンマーという人の逸話。
彼はなぜか普通の計算が苦手だったそうで、ある時黒板を前にして7×9を計算する時に、ぶつぶつ言うことには
答えは61ではありえない。なぜなら61は素数だからだ。5の倍数だから65でもありえない。
 67は素数だ。69は大きすぎる。すると、残るのは63だ。

・・・全く、数学者というのは楽しい人が多いですね。

(03.6.30.記)


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