荻原浩/明日の記憶(光文社 2004年)


Amazon.co.jp. : 明日の記憶


「次の三つの言葉を覚えてください。 いいですか (中略) あさがお、飛行機、いぬ」(66ページ)

<ストーリー>
 中堅広告代理店の部長・佐伯は、50歳になってから、物忘れがひどくなりました。
 最初は映画俳優の名前が出てこない程度でしたが、やがて打ち合わせの約束を忘れたり、
 通いなれた取引先に行く途中で道に迷ったりするようになります。
 勇気をふるって受診した病院で、佐伯は「若年性アルツハイマー病」と診断されます。


一説によると、現代人の10人に8人は「最近物忘れがひどくなった」と思っていて、
残りの2人は、物忘れしたこと自体を忘れているそうです。

先日、池谷裕二「進化しすぎた脳」を読んで、人間の脳は忘れ続けるのが常態であると知り、すっかり安心、
物忘れ街道を驀進中の私ですが、それでもこの小説は怖かったです。
脳細胞が急速に破壊されてゆくアルツハイマー病は、物忘れとは本質的に別物。
記憶だけでなく人格も損なわれてゆき、性格は粗暴になり、味覚や嗅覚も狂いはじめます。
最後は脳が萎縮して、発病から平均7年で死に至ります。
そんなアルツハイマー病の現実が、細かいディテールの積み重ねによりリアルに描かれ、
圧倒的迫力で読むものに迫ります。

働き盛りでアルツハイマーと診断された主人公は、酒を断ち、玄米を食べ、肉をやめて魚にし、
大事なことは何でもメモして、必死で病気と戦いますが、
もとより負け戦であることは自分が一番良くわかっています。
病気が進行する中で、信頼していた人に裏切られたり、生意気な若造だと思っていた部下の真情に触れるなど
さまざまなドラマがありながら、それらもすぐに忘れてしまうのは悲しいのか幸せなのか。
ひとりで家にいるときに、味噌汁を温めようとコンロの火をつけ、
すぐにそのことを忘れてしまう場面は怖いです。 下手したら火事ですね。

若い頃世話になった陶芸家の老人とすんなり再会できる最終章は、かなりご都合主義ですが、
これくらいの幸運を与えてあげないと、可哀相過ぎます。
(この老陶芸家もまた主人公の妄想だということは・・・? いやそれは恐ろしすぎる)
つらい物語ですが、決して重苦しくはなく、ぐいぐいさくさく読めてしまいます。
ラストも、救いはないけれど美しく、どこか透明な読後感でした。


・・・さて、ところで、最初のほうにあげた「三つの言葉」、あなたは覚えておられますか。

(05.3.5.記)

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