モーツァルト/フォルテピアノ協奏曲全集(10枚組)
(インマゼール:独奏&指揮/アニマ・エテルナ)
(1990〜91録音)



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Tower@jp : モーツァルト/フォルテピアノ協奏曲全集


20世紀の頃(と書くとずいぶん昔みたいですが・・・・・昔ですね)、「レコード芸術」という月刊誌を熱心に読んでました。
それこそ隅から隅まで舐めるように読み、持ってるCDの記事はコピーしてブックレットにはさんだりして、まあご苦労なことでした。
でもいつの頃からか買わなくなり、もう10年以上読んでません、音楽之友社さんすみません。

「レコード芸術」は、一枚のCDをふたりの批評家が批評する「合評制」が売り物。
ときにふたりの評価が大きく分かれるのが面白く、かえって興味を惹かれたものです。

特に記憶に残っているのが、1991年から92年にかけてリリースされた、
ジョス・ファン・インマゼール独奏&指揮/アニマ・エテルナによる、モーツァルト/フォルテピアノ協奏曲全集
全10枚が、ほぼ月に1枚のペースで発売され、「レコード芸術」にも毎月のように評が掲載されました。
評者は高橋昭宇野功芳
二人の評価は面白いくらい正反対、高橋氏はベタ褒めで宇野氏はケチョンケチョンでした。

高橋評「彼の演奏は力強いと同時に、フォルテピアノから弾力ある響きを引き出し、生き生きしたダイナミクスを再現する。
    表情と強弱が変化に富み、そこから美しい緊張感が生まれる。
    アーティキュレーションが適切なので細かい動きが明確に生かされ、しかも硬さを感じさせない。」
 (K.175/K.271)

宇野評「フォルテピアノの平べったい、ペンペンした音には辟易する。せっかく良い音のする現代のピアノがあるのに・・・と気の毒になってしまう」 (K.175/K.271)

高橋評「インマゼールは、明確なタッチで表情と音色を細かく変化させながら演奏を進めてゆく。
    彼はフォルテピアノの機能をフルに生かして、細部に光を当てながら、全体を有機的に形づくってゆく。」
 (K.466/K.467)

宇野評「インマゼールの音色は平べったく、第1楽章では左手のたたきつけるようなタッチが乱暴に聴こえる部分があり、第2楽章ではリズムがべたつく。
    フィナーレのテーマは不器用な感じがしてしまう。」
(K.466/K.467)

同じCDの批評とは思えないほどの分裂ぶりに、激しく興味をそそられた私。
とくに宇野功芳がこれほど口をきわめてののしるとは、きっと面白い演奏に違いない!
シリーズを1枚ずつ買って、結局全部そろえてしまいました。
これは「レコ芸」の高度な販売戦略だったのでは? と思ったほどです。
じつは私、「フォルテピアノ」の音を聴くのは初めてだったので、

 「なんじゃ、この壊れたおもちゃのピアノみたいな音はー!!」

と、最初は宇野功芳氏の意見にほぼ賛同、たしかにペンペンしてます。

 ピアノ協奏曲第20番・第1楽章(ピアノが出てくるところから)
 

しかしモーツァルトの時代にはまだグランドピアノは存在せず、彼が実際に弾いたり聴いたりしていたのはピアノの前身である、このフォルテピアノ。
そう思って繰り返し聴くうちに、これはこれで独特の味わいがあるなあと思うようになりました。
グランドピアノの深い響きと力強さはありませんが、フォルテピアノにはすっきりした軽妙さと繊細さがあります。
この風通しの良さ、清涼感は、重厚なグランドピアノにはないものですし、プチプチ切れる音も慣れると綺麗な玉が転がるようで気持ちいい。
インマゼールの独奏は、ところどころに勝手に装飾音を入れたりして、じつにフリーダム。
カデンツァは多くの曲で既成のものではなくオリジナルを使用しているようで(あるいは即興演奏?)、これも面白いです。

というわけで、いつの間にかすっかりお気に入り。
その後、お得なボックスセットも出ましたが、残念ながら2016年現在廃盤です (→2018年に再発売されました)。

なおフォルテピアノによるモーツァルトの協奏曲全集にはほかに、ビルソン&ガーディナーレヴィン&ホグウッドなどがあるようですが、未聴。
とりあえずインマゼールがあれば他はいらん! と思ってる幸せな私です。

(2016.9.9.)


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