鶴我裕子/バイオリニストは肩が凝る
(ARC出版企画 2005年)
Amazon.co.jp : バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記
改題されて文庫になりました(2009年)
Amazon.cp.jp : バイオリニストは目が赤い (新潮文庫)
我が女房殿は肩凝り持ちなので、私は時々肩をもまされる もませて頂くのですが、
どうも微妙かつ絶妙にツボを外してしまうみたいで、なかなか満足してもらえません。 ムツカシイものです。
実は私には「肩が凝る」という感覚がよくわからないのです。
そう、私はいまだかつて肩が凝ったことがないのです(水泳やってるおかげかもしれません)。
でも四十肩にはなったから、偉そうなことは言えないのです。
さて、バイオリニストも肩が凝るのですね。 当然といえば当然のような気も。
この本は、重症の肩凝りのため、演奏家生命を絶たれる危機に直面した女性バイオリニストが、
不屈の意志と最新医学で肩凝りを克服した、涙と感動の壮絶な闘病記であります。
というのは嘘で、お笑いエッセイです。
著者はN響の第一バイオリン奏者。
N響でエッセイ書く人といえば、オーボエの茂木大輔さんが有名ですが、
本書の鶴我裕子さんも、お笑いセンスでは負けていません。 N響ってオモロイ人が多いのですかね。
指揮者に関する話が、やっぱり興味深いです。
奏者は指揮者よりもよく練習し、経験を積んで曲を知っていることがほとんどで、
我々のささやかな願いは、「せめてジャマをしないで」ということにつきるのだ。
(中略)
それなのに、批評家はよく、「○○の音楽作りは」といった書き方をしますよね。(56ページ)
キ、キビシイ・・・。
それなら、指揮者は無用の長物かというと、そうではなく、
自分ひとりでは決して行けなかったような高みにまで登る(58ページ)ような演奏をさせてくれる優れた指揮者が存在するのです。
たとえばブーレーズ、
彼のレヴェルの高さについていけない自分を痛感し、「足を引っぱって申し訳ない」と思った。
目が点になったまま終わった演奏会のあとも、「あの人のお役に立てるほど、うまくなりたい」と切に思った。(58ページ)
笑い話の間にシュッとこういう真面目な話を挿入するバランス感覚が素晴らしく、
あれよあれよという間に読んでしまいます。
なお、鶴我さんは「ヴァイオリン」ではなく必ず「バイオリン」と表記されます。
なにかこだわりがあるのでしょうか。
(07.1.9.)