庄司薫/薫クン四部作
(中央公論社 1969〜1977)

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みんなを幸せにするために
強くやさしく勇気ある男になるために
薫クンはいま何をなすべきか

(「さよなら怪傑黒頭巾」より)


庄司薫(1937〜)の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は1969年の芥川賞受賞作。
べつにシリーズ完結30周年とか著者生誕70周年だからってわけじゃないのだけど、ひさしぶりに4冊まとめて読み返したら、これがまた相当猛烈に面白かったもので。

このシリーズ、少なくとも昭和のころは、いわゆる一世を風靡っていうか、読書家なら当然読んでる、みたいな感じだったと思うんだけど、最近はどうなんだろう。
少なくとも絶版になっていないところを見ると(希望的観測というやつを言わせてもらえるなら)、多少は読まれているんだろうか。

でもいまどき、いい大人が「庄司薫が好きです」なんて言うのは、じつは相当勇気がいることだったりするんだ。
「大人になりきれてない青臭い人間です」と告白するみたいで、ちょっとザンキに耐えないというか、かなり恥ずかしいんだな、これが。
坂口安吾三島由紀夫ならデカダンとか破滅の美学の香りがなかなかに格好良いのだけれど、庄司薫ときたら、たとえば第1作「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、
要するに「男の子は女の子を泣かしてはいけない」 「みんなを幸福にするにはどうすればよいか」 みたいな純情素朴な内容を
義務教育終了以前の語彙で語る、みたいな代物だから、下手をすると「幼稚」の一言で片付けられちゃう恐れが無きにしもあらずなんだ、まいったまいった。

でも、じつはこの小説、人間として本当に大切なことを、選びに選んだわかりやすい言葉で伝えようとしていると思うんだけどな。
時代を超えて変わらない真理と、昭和っぽいノスタルジックな風俗がブレンドされ、ある意味新鮮ですらある。
薫クンは未成年なのに銀座を飲み歩くし、堂々と飲酒運転する登場人物もいたりして、わあ昭和だなあと感じ入ってしまったよ。

一応、設定を説明しておくと、主人公・庄司薫クンは二十世紀の中間点・1950年生まれ(著者とはまた別人)の、日比谷高校の優等生。
彼が高校を卒業する1969年に学園紛争が激化、東大の安田講堂は過激派に占拠され、とうとう東大入試も中止に。
東大をめざしていた薫クン、突然目標を見失ってしまった。
この4部作は、そんな薫クンの、1969年2月から7月までの半年間を描いたもの。

第1部「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969)は、
入試は中止になるわ、足の親指の爪は剥がすわ(痛そう!)、愛犬ゴンは死ぬわ、幼馴染の由美には絶交されるわ、薫クン踏んだり蹴ったり状態の1日を描いている。
辛い状況に、男の子いかに生きるべきかを見失いそうになる薫クンだけど、最後に夕暮れの銀座で「赤頭巾ちゃん」に出会い、自分を取り戻すんだ。
そして家に帰って由美と仲直りして手をつなぎ、彼女の手と肩がかすかに震えているのに気づいたとき、それまで抑えていた何かがせきを切ったように溢れ出してくる。

 ぼくは海のような男になろう。あの大きな大きなそしてやさしい海のような男に。
 そのなかでは、この由美のやつがもうなにも気を使ったり心配したり嵐を怖れたりなんかしないで、
 無邪気なお魚みたいに楽しく泳いだりはしゃいだり暴れたりできるような、そんな大きくて深くてやさしい海のような男になろう。


これは4部作を貫くテーマになっていると思う。
結局薫クンは大学に行かずに、自らの知性を自分自身で高めていくことを選択するんだ。

第2部「白鳥の歌なんて聞こえない」(1971)は、
はじめて「死」というものに触れて立ちすくむ主人公たちの姿を描いた作品。
今回は、若い頃読んだとき以上に、自分が死に近づいていることを強く感じて(だって20年ぶりに読んだんだ、かなり考えさせられてしまった。
毎日がんばって生きていこうとか・・・・いやはや、なんとも平凡素朴な感想で恥ずかしいぞ。
この作品では幼なじみのガールフレンド由美が準主役的にクローズアップ、ふたりの関係も大きな転機を迎えるなど、
由美ちゃんファンにはたまらない一作となってるところもポイントかな。
なお、他の3作がすべて1日の出来事を描いているのに対し、これだけは作品内で6日間が経過する。

第3部「さよなら快傑黒頭巾」(1969)は、
兄たちの世代が大学紛争に挫折してゆく様を、薫クンの眼を通してややコミカルに描いたもの。
いま読むと、読後感がいちばん苦いのがこの作品(傑作だけど)。
でも昔は、高度成長期の東京を、せいいっぱい背伸びして飲み歩く薫クンに、憧れに似た気持ちを抱きつつ読んだっけ(われながら表面的)。
それにしてもアコの猛烈で暴力的なまでの美少女ぶりときたら・・・。

そして第4部「ぼくの大好きな青髭」(1977)
高校の同級生の自殺の理由を探るため、「青髭」という謎の人物を探して新宿の街をさまよう薫クン。
謎解き&サスペンスの要素も(少しだけ)あって、同級生の自殺の動機や「青髭」の正体は、最後で明らかに。

4編はまるで交響曲の4つの楽章のように響きあい、薫クンは人間として少しずつ成長してゆくってわけ。

ただ、断然うらやましい不思議なのは、薫クンが異様にモテること。
そもそも由美ちゃんというちょっと生意気で可愛い幼馴染の彼女がいるくせに、
第1作では美人女医さんに裸白衣で誘惑され、第2作では小沢さんという年上の美女にまたも誘惑され、
第3作ではアコとノンちゃんという綺麗な女の子たちと両手に花状態で飲み歩いたりするんだこの野郎青年は。
もちろん純情な薫クンは彼女たちに手も足も出ないんだけれど、でもなんでこんなにモテるんだろう? コノヤロッ!世の中間違っとるっ!

とにかくこの4部作、10代20代で読んでもきっと面白いと思う。
だけど今回、すっかりオジサンになってから読みなおしてみたらば、
昔とはまた違った部分でいろいろ考えさせられてやっぱり面白かったし、全然古びていないことにかえってびっくりしたくらいだ。
10年経ったら、もういちど読み返してみようかな。

(07.6.18.)

たとえば知性というものは、凄く自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、
そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、
そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか

(「赤頭巾ちゃん気をつけて」より)


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