スクリャービン/前奏曲全集(2枚組)
(アンドレイ・ディエフ独奏 1996〜7録音)



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史上最も多くの「前奏曲」を書いた作曲家?


ピアノ曲に「前奏曲」というジャンルがあります。
もっとも有名なのはショパン「24の前奏曲」

「前奏」つまりイントロですから、あとに「本体部分」が接続されてしかるべきなのですが、奇妙なことに本体はありません。
イントロだけを集めた曲集・・・なんなんですかこれは。

歴史的なことを言えば、バロック時代の「組曲」はまず「前奏曲」があり、「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジーグ」などの舞曲が続きます。
また主にドイツでは、自由な「前奏曲」のあとに厳格な「フーガ」が続く「前奏曲とフーガ」という曲がよく作られました。
なお基本的に「前奏曲」はこれといった形式を持たない即興的で短い音楽です(もとは即興でイントロをつけたのが始まりらしい)。

そしてJ・S・バッハは、すべての長調と短調による「24の前奏曲とフーガ」を2セット(計48曲)も作曲し、「平均律クラヴィーア曲集」と名付けました。
素晴らしい名曲であり、数曲続けて聴くと眠くなります。

 で、「前奏曲は好きに作れて楽しいけど、フーガ作るのマジめんどくせーなあ・・・よし、前奏曲だけでまとめてみたろ!」

と思ったかどうか知りませんが、フンメル(1778〜1837)という作曲家が1815年にすべての調による「24の前奏曲」をはじめて出版しました。
バッハの平均律からフーガを取り除いた形ですね。
ついで19世紀前半のパリで大御所ピアニスト&作曲家のカルクブレンナー(1785〜1849)が1828年に「24の前奏曲」を発表します。
ところでショパンはパリに出てきたときカルクブレンナーに「ワシに弟子入りせんかね」と誘われたことがあります。
友人のメンデルスゾーンなどに相談すると「君は誰にも弟子入りする必要なんてない!」と言われ断ったそうですが。
まあそれでもカルクブレンナーの曲は知っていたはずで、「24の前奏曲」(1839)のヒントにはなったかも。

さて、音楽史上最も多くの「前奏曲」を書いた作曲家は誰でしょうか?

それは、アレクサンダー・スクリャービン(1872〜1915)ではないかと思います。
作曲者の生涯にわたって作られ、全部で90曲あります。

このCDは、スクリャービンの前奏曲をすべて収めた2枚組で、良い意味で邪魔にならない音楽です(褒めてます)。
気持ちよく聴き流しても快適ですが、じっくり聴くとそれぞれに幻想的な小宇宙が広がり、初期から晩年へと作風が変遷してゆく面白さがあります。

初期はショパンの影響をもろに受けたロマンティックな小品が並びます。

 24の前奏曲 作品11の1 ハ長調 (知らずに聴いたら絶対ショパンと思うよね)
 

 24の前奏曲 作品11の6 ロ短調 (嵐のような激しさを帯びた曲)
 

 7つの前奏曲 作品17の1 ニ短調 (ショパンをさらに神経質にしたような感じ?)
 

中期になるとショパンの影響は薄れ、独特の複雑な響きに耳が心地良く刺激されます。
陰影の濃い艶やかなメロディ、どこか虚空を見つめるようなメランコリーに心を奪われます。

 4つの前奏曲 作品31の2 嬰ヘ短調 (独特な響きの和音が連続する曲)
 

 4つの前奏曲 作品48の4 ハ長調 (「どこかが壊れたショパン」のような不安定な危うさを感じさせる曲)
 

晩年は神秘的で官能的な和声の連続、スリャービン独自の世界がめくるめいています。
キース・ジャレットやチック・コリアの即興演奏に近いものを感じますが、さらに複雑怪奇です。
調性からも離脱して妖しくもラヴリィ、よそでは聴けない夢のような瞬間に酔いしれます。

 2つの前奏曲 作品67の2 (グロテスクな軽やかさ)
 

 5つの前奏曲 作品74の1 (神秘的で幻想的な無調の世界)
 

 5つの前奏曲 作品74の4 (武満徹の小品と言われたら信じてしまいそう)
 

決して聴きづらい音楽ではなく、休日の午後のリビングに小さめの音量で流せば適度に湿り気を帯びた音が空気をしなやかに振るわせて、いい感じに気怠い雰囲気。
麦茶で酔っぱらえそうなほどでありまして、なけなしの勤労意欲を根こそぎ奪ってくれます。

 前奏曲 作品9の1(左手のための) (最初期の曲。素朴で素直な可憐さ)
 


(2021.07.11.)

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