佐藤多佳子/黄色い目の魚(新潮社 2002年)
<ストーリー>
木島悟は16歳の高校生。
彼の父親は画家として挫折し、酒におぼれて死んでしまいました。
村田みのりは、家でも学校でも「居場所がない」と感じている少女、
イラストレーターの叔父、木幡通のアトリエだけが、唯一落ち着ける場所。
ふたりは同級生、ある日美術の授業でお互いの顔を描くことに。
父親の血でしょうか、絵を描くのは好きな悟ですが、みのりの顔はどうしても描けません。
「輪郭が見えねえ。
果てが、わかんない。
デカいんだ、なんか。
女なのにさ。」
たいして美人でもない、おまけに無愛想なみのりに、悟はなぜか惹かれてゆきます。
いやあ、なんと言いますか、高校生同士の恋愛小説です。
こんなん、おっさんが読んでもええんでしょうか〜
と、関西弁でつっこみながら、どういうわけか一気読み。
ラストシーンにはちょっとサブイボが出ないでもなかったですが傷は浅いぞしっかりしろ。
サブイボを補って余りあるほどに面白かったです。
悟には絵の才能がありそうですが、父親の件もあり絵に打ち込む気にはなれません。
部活はサッカー、これは才能がないことは自分でも良くわかっていて、チームも連敗中。
でも仲間とワイワイ楽しければ、それでいいと思っています。
「マジになるのって、こわくない? 自分の限界とか見えちゃいそうで」
という科白が、悟の横顔を端的に表わしています。
みのりは逆に、人と適当に付き合う事ができません。
表面的に、ナアナアでやっていく連中が許せなくて、クラスでも家庭でも浮いています。
語り手は悟とみのりで、章ごとに交代する構成になっているのですが、これがナイス。
ひとつの出来事が視点を替えてニ度描かれます。
不思議なもので、語り手でないほうは賢いこと考えてるように見えます。
しかし次の章で語り手が入れ替わると、賢く見えたほうも実はけっこうアセってたり、
間の抜けたことを考えていたのがわかるという仕掛け。
やはり人間、黙っていたほうが賢そうに見えるものです。
私も明日からあまりしゃべらんようにしよう、ってそんなことはどうでも良いのですが、
その結果、「ああ、この女(男)は偉いんだ、よし負けるものか」と、一種勘違いな刺激を受け、
ふたりとも人間的に成長していくという、なかなかに微笑ましい流れになっているわけです。
語り口は軽妙、笑いも散りばめ、なんという筆達者な作家さんでしょう。
佐藤多佳子さんは、「サマータイム」「しゃべれども しゃべれども」(新潮文庫)などですでに評価の高い人。
この人の本には今のところハズレがないぞ、と思う私でありました。
(04.1.17.記)