ドーラ・ペヤチェヴィチ/ピアノ作品集
(エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ独奏 2020録音)



Amazon : Dora Pejacevic/Piano Works

Tower : Dora Pejacevic Piano Music

20世紀前半のクロアチアを代表する作曲家 ドーラ・ペヤチェヴィチ(1885〜1923)は、由緒正しい貴族令嬢、高貴なお姫様です。

ブダペストでハンガリー系クロアチア人の伯爵の娘として生まれ、ピアノ愛好者だった母親からピアノのレッスンを受けます。
しかし並外れた音楽の才能に気づいた両親は、ザグレブのクロアチア音楽院の教師のプライヴェート・レッスンを受けさせます(普通に入学させないんだ・・・)
その後、ドレスデンとミュンヘンで作曲とヴァイオリンを学び、さらに詩を書き、絵を描き、足しげく演劇にも通いました。


 


6つの幻想小曲集 作品17より第5曲(1903) (18歳の作品。軽妙でウィットを感じさせる短い曲)



ピアノ曲は、いかにも貴族令嬢らしく、色彩的で上品な華やかさ。
しかしお洒落で可愛らしいだけではなく、新たな響きの可能性も垣間見え、ついつい耳を惹きつけられます。
こりゃ確かにただものじゃないわ、才能がビンビンに伝わってきます。


組曲「花の生涯」 作品19 より「谷間のユリ」(1905) (ドリーミーで優美で繊細!)


組曲「花の生涯」 作品19 より「赤いカーネーション」(1905) (シューマン風の技巧的な作品)


9つのワルツ・カプリス 作品28より「レントラーのテンポで」(1906) (かすかにグロテスクさを漂わせる面白いワルツ)



1914年に第一次世界大戦が勃発。
ドーラはボランティアの看護師として奉仕活動に身を捧げますが(ノブレス・オブリージュってやつですね)、
そこで体験した戦争の悲惨さ、残酷さに衝撃を受けます。

戦争終結後、親しい友人ロサに宛てた手紙には

 「どうして人は働かないで生きていられるでしょう? とりわけ身分の高い人たち、なぜ日がな一日何もしないで過ごせるのかしら?」

 「彼らの興味といえばブリッジとポーカーだけ、急にそわそわし始めたと思ったら、自分の領土が取られそうになった時よ」 


と、自らの属する貴族社会への批判を展開するようになります。


カプリッチョ 作品47(1919) (大胆な跳躍、斬新な和声、20世紀アヴァンギャルドを感じさせる意欲作。プロコフィエフ風?)



ドーラは1921年、友人ロサの兄で青年将校のオットーマール・フォン・ルンべと盛大な結婚式を挙げました。
結婚後はミュンヘンに暮らし、ほどなく妊娠します。
当時としては、子供を持つには年齢が高すぎると危惧されましたが、1923年1月に元気な男の子を出産、テオと名付けました。
しかし出産後体調を崩し同年3月、37歳で腎不全のため亡くなりました。


2つの夜想曲 作品50 より「軽やかな動きで」(1920) (甘さを押さえ渋めの寂寥感を漂わせるオトナのノクターン)



作品はピアノ曲にとどまらず、大上段に振りかぶったラフマニノフ風の「ピアノ協奏曲」(1914)、
第一次世界大戦中の経験を投影したと言われる壮大で悲劇的な「交響曲」(1920)、数多くの室内楽曲などがあり、現在再評価が進行中。
私もいろいろ聴いている最中で、「おいこりゃなかなか凄い作曲家だな」と驚愕&感動の日々、いやあ世界は広いですね。


なお、息子のテオ氏は母亡き後6ヶ月ほどはドーラの両親がナシツェで育て、その後生涯をウィーンで過ごしました。
「母には写真でしか会うことが叶わなかったけれど、母は私の心にずっと居続けました」と、インタビューで語っています。
2011年には、バイオリンを持つ母の肖像画などをクロアチア政府に寄贈、現在その絵はザグレブの近代ギャラリーに展示されています。
テオ氏は2012年、89歳で生涯を閉じたそうです。

参考サイト→ドラ・ペヤチェヴィッチ(陽の当たらなかった女性作曲家たち Uー5)


(2025.05.24.)



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