北杜夫/楡家の人びと
(1964)
(新潮文庫)

Amazon : 楡家の人びと 第1部 Amazon : 楡家の人びと 第2部 Amazon : 楡家の人びと 第3部

<ストーリー>
豪放磊落な楽天性と人当たりの良さで、なんとなく患者の信頼を集めてしまうドクトル楡基一郎
彼が誇大妄想的な着想と破天荒な行動力をもって築いた西洋御殿のような楡脳病院
そこである者は優雅に、ある者は純朴に、ある者は夢見がちに、ある者は漠とした不安にとまどいながら、それぞれの生を紡いでゆく。
日々の営み、夢と希望、苦悩と悲嘆、そのすべてが時の流れという波濤に呑みこまれ、「運命」へと変貌してゆく。
東京青山の病院の、個性豊かな一族の生きざまを、大正から昭和への30年間を背景に描きあげた一大叙事詩。


愚かで愛おしい凡人への賛歌


いつか読みたい、そのうち読もうと思っていた
北杜夫「楡家の人びと」を、猛暑の中、一気に読破しました。

 面白かったです!

てっきり苦虫噛みつぶし系の難渋作品かと思っていたのですが、良い意味で予想は裏切られました。
さすがは「ドクトルマンボウ」「船乗りプクプクの冒険」でたっぷり笑わせてくれた人、
北杜夫の生家である斎藤家をモデルに書かれたこの小説は、
軽快で読みやすい文章で紡がれ、ユーモラスでありながら格調高い名品。
大正中期から敗戦までの楡一族の30年を読むことで、「日本」という国の変遷・行く末にも思いを馳せてしまいます。
いっぽう、「サザエさん」に通じるような庶民的・市民的な香りも感じます。

第三部では、庶民の目線から第二次世界大戦が克明に描かれます。
戦争は・・・いけませんね、絶対に。
この世に決して存在しないものは、「良い戦争」と「悪い平和」だと痛感します。

「もっと早く読めばよかった」と思わんでもありませんが、若い頃に読んでもうまく味わえなかったかも。
なにしろ普通の人たちが、ただ一生懸命生きていくだけの話です。
主人公のいない群像劇であり、超人的なヒーローは出てきません。
ただしどの人物も個性的で、変人で、ずるくて、一本抜けていて、見栄っ張りで滑稽です。

 ・・・・・つまりは私と同じです。
 どの登場人物もじつに愛おしい・・・(勝手に愛おしがられても迷惑でしょうが)

 自分の一生は一言で言えば愚かにもむなしいものではなかったか。
 あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせわずかの批判精神もなく、
 馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたに過ぎないのではないか。
 いや、愚かなのはなにも自分一人ではない。賢い人間がこの世にどれだけいるというのか。
 自分の周囲、少なくとも楡病院に暮らしていた人々は、有体に言えばすべて愚かであった。誰も彼もが愚かであった。
 (第3部 336ページ)

終わり近くで、ある登場人物がしみじみとつぶやく言葉です。
この小説が、愚かで、だからこそ愛おしい「普通の人々」への賛歌であることを端的に表した一節です。
愚かでも、没落しても、誇りを失わない彼らに共感と一抹の哀しさを覚えながら、小説は幕を下ろします。

そうさ、愚かな凡人が一番強いのさ!
とうそぶいて、熱い夕日をしみじみ眺める八月の夕暮れでありました。
もちろん右手にはビールのグラスね。

(2013.8.11.)



人生はクローズ・アップで撮れば悲劇だが、ロング・ショットで撮れば喜劇である。
(チャールズ・チャップリン)



「本の感想小屋」へ

「整理戸棚」へ

「更新履歴」へ

HOMEへ