アンソニー・ドーア/メモリー・ウォール
(新潮クレスト・ブックス 2011年)



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思い出せない、最愛の人の言葉。
脳裏から離れない、あの夜の景色。


記憶を保存する装置を手に入れた認知症の老女。
赴任先の朝鮮半島で傷ついたタンチョウヅルに出会う米兵。
両親を亡くし、リトアニアに住む祖父に引き取られたアメリカ人少女。
ナチス政権下の孤児院からただひとりアメリカに逃れたユダヤの少女。

さまざまな場所や時代に生きる人々と、彼らを世界に繋ぎとめる「記憶」をめぐる六つの物語。




記憶がなければ、われわれは何者でもない。(ルイス・ブニュエル)

そう、記憶こそが、私たちの人生をかたち作っているのであります。

 小学校低学年のころ遅刻しそうになり、思わずズボンをはかずに家を飛び出した記憶とか(母がズボンを持って追いかけてきた)
 4年生の体育の授業で、もろに頭から突っ込んで跳び箱を崩壊させた記憶とか(幸い自分は無傷)
 
・・・・・・まあ、忘れたほうが良い記憶もたくさんありますけどね。


 アンソニー・ドーア/メモリー・ウォール

これは「記憶」をテーマにした短編集。
さまざまな人の心の中を旅したような読後感を味わいました。

人間の記憶を脳から取り出してメモリー・チップに保存できる時代。
自分のチップを部屋の壁一面に貼り付ける認知症の老女と
頭にポートを埋め込まれた「記憶読み取り人」の少年ルヴォ。
老女の失われた記憶をめぐって途中からサスペンス風の展開となる表題作「メモリー・ウォール」は、
文学的であると同時にエンタテインメントにも満ちた読み応えたっぷりの中編です。


両親を亡くし、リトアニアに住む祖父に引き取られたアメリカ人少女を描く「ネムナス川」
アメリカでの記憶とリトアニアでの生活が、少女のなかで静かにゆっくりと混じり合ってゆきます。

 わたしはカンザスが恋しい。ハナズオウの木が、暴風雨が、
 フットボールの試合のある土曜になると大学生がみんな紫色の服を着るのが恋しい。
 食料品店に入ると、ママがサングラスを頭の上にのせるのが恋しい。
 パパが自転車を漕いで丘を登り、小さなわたしはうしろに引いた自転車用のトレーラーに乗り、
 パパのえび茶色のバックパックが上下に揺れるのが恋しい。
(222ページ)


最後に収められた「来世」も忘れ難い一篇。
ナチスが台頭する時代のドイツ、孤児院で暮らすユダヤ人孤児のエスターは
幸運にもただひとりナチスの手を逃れアメリカに逃げることができました。
挿絵画家として成功した81歳のエスターの脳裏に、孤児院時代の友達の顔や言葉が鮮明に蘇ります。

 寝室で枕元のランプを消して横たわっていると、とめどない記憶の流れが浮かぶ。数十年前の、深く埋められた記憶だ。
 ヒルシュフェルト孤児院のあわただしく活気のある音が聞こえる。階段を急いで下りる足音、庭の物干しロープでワンピースがはためく音、
 居間にあるクルミ材でできた大きなラジオの<レディオラV>から流れるダンス音楽。
 エスターは11年間、毎週の安息日には、食堂の細長いテーブルにつき、自分の手の甲を見つめ、他の少女たちの手の甲を見つめ、
 ミリアムやレジーナやハネロールやエルザがテーブルに勢ぞろいして祈り、家族や遺伝について思いをめぐらすのを見つめた。
 (中略)
 二脚の長椅子には一ダースの少女が集い、セーターの下では一ダースの若い心臓が鼓動し、窓の外では三本の青い街灯が風に揺れる。
(247ページ)

記憶はエスターの死によって永遠に失われますが、最後に「希望」が示唆されて、短編集は終わります。

 地球のあらゆる場所で、果てしない数の記憶が消え、光り輝く地図が墓へ引き込まれる。
 けれども、その同じ時間に子どもたちが動きまわり、彼らにとってはまったく新しい領域を調査する。
 子供たちは暗闇を押し戻す。記憶をパンくずのようにまき散らして進む。世界は作り直される。
(306ページ)


・・・・・・いやあ、いい本読んだぁ・・・・・・。
と、しみじみできる一冊でした。

記憶は失われる、だからこそ美しくかけがえのないもの。
大切にしなければなりません。

 小学生の頃、銀玉鉄砲の弾を鼻の穴に入れたら取れなくなって親に泣きついたこととか、
 大学の新歓コンパで吐くまで飲みまくって、店に迷惑をかけたうえ、二日酔いで死ぬかと思ったこととか。

・・・・・・いや、少なくとも私には失われたほうが幸せな記憶もたくさんあるようですね。

(2012.1.29.)


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