ユタ・ヒップ/アット・ザ・ヒッコリー・ハウス(Vol.1&2)
(ユタ・ヒップ:piano ピーター・インド:bass エド・シグペン:drums)
(Blue Note 1515&1516  1956年4月録音)

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「1955年11月18日午前11時、マンハッタン第88埠頭に停泊中の汽船ニューヨークから、
新しい国の見慣れない風景を近眼で眺めつつ、ユタ・ヒップはアメリカに降り立った」
(ライナーノートから)



1956年、ブルーノート・レーベルにわずか3枚のアルバムを残して消えてしまった幻のドイツ人ピアニスト、ユタ・ヒップ(Jutta Hipp , 1925〜2003)。

ジャズ評論家でプロデューサーのレナード・フェザーによってドイツで見出され、単身渡米した彼女。
本場物のJAZZを聴こうと、さっそくニューヨークのライヴ・ハウスへ。
ところが、カウント・ベイシー楽団マイルス・デイヴィスの素晴らしい演奏に打ちのめされ、二ヶ月間ピアノの前に座ることすら出来なくなってしまいます。
繊細な人だったんですね。

ようやくショックも薄れた頃、フェザーは知り合いのレストランに彼女を紹介します。
店の名は「ヒッコリーハウス」
旨いステーキと、ピアノ・トリオの生演奏が売り物のこの店に、彼女は半年間にわたり出演し、2枚のライヴ・アルバムを残しました。

 Take Me in Your Arms (最初に本人による真面目そうで初々しい曲紹介があります)
 

客の話し声や、食器の音のなか、淡々と演奏するユタ・ヒップ。
クール&デリケートで、清冽な印象のピアノ。
ベイシーやマイルス聴いて落ち込む必要なんてないですよ! 
素晴らしい才能がビンビン伝わってきます。
しかし拍手はまばらです・・・結局、音楽は脂したたるアツアツのステーキにはかなわないのか?
ビル・エヴァンズの「ワルツ・フォー・デビイ」も、拍手が少ないことで有名な(?)ライヴ・アルバムの名作ですが、それよりもさらに少ないです。

名前も良くなかったのかもしれませんね〜。
「ユタ・ヒップ」・・・軽く見られそうな響きでは?
”アンネローゼ=マクシミリアーネ・リヒテンシュミット2世”とかなんとか、エラソーな芸名つけて、
嘘でもいいからドイツ貴族の血を引いてるとでも言っとけば、もっと注目されたんじゃないかと (←山師かおまえは)。

でもホントに、このアルバムは素晴らしいです。
端正かつ小粋でありながら全体に漂う緊張感。 アドリブで紡ぎだすメロディのクラシカルな美しさ。
アメリカではあまり受けなかったようですが、むしろ日本人の感性にぐっと来るものがあるような。
もしアメリカでなく日本に来ていたら、晩年のケニー・ドリューみたいに大人気を博していた・・・かも?かも?
とっつきやすくて、しかも聴けば聴くほど味が出るピアノ・トリオアルバムでございます。

 Dear Old Stockholm (やはり曲紹介つき。名演奏として名高いトラックです)
 

ブルーノートの社長アルフレッド・ライオンもドイツ人、ユタのことを気にかけていなかったはずはないのですが、
結局1956年7月、アルバム”Jutta Hipp with Zoot Sims”(Blue Note 1530)の録音を最後に、彼女は音楽シーンから姿を消してしまったのでした。

(08.2.24.)

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