ヘルツォーゲンベルク/交響曲第1&2番
(フランク・ベールマン指揮 北ドイツ放送フィルハーモニー)



Amazon : ヘルツォーゲンベルク:交響曲 第1番/第2番

ブラームスを惑わせた美女(の夫)


1876年8月1日 エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからヨハネス・ブラームスへ
 ライプツィヒ訪問を考えられたことはありませんか。(中略)訪問されるときにはホテル・ハウフェはやめて、ヘルツォーゲンベルク家にお泊まりください。
 ベッドはハウフェと同じぐらい上等、コーヒーはずっとおいしいですし、すごく広いとはいえませんけど、まずまずの広さの二部屋、
 ベッド・カバーは絹の手触りで、灰皿は数え切れないほどありますし、何よりも平安と静けさをお約束できますわ。
              
1877年1月 ヨハネス・ブラームスからヘルツォーゲンベルク夫妻へ
 あなたの家に泊めていただき、大変楽しい思いをしました。この記憶はまだ冷めておりませんので、いつまでもきちんと保存しておきたいと思います。


1864年のこと。
31歳のヨハネス・ブラームス(1833〜97)はエリーザベト・フォン・シュトックハウゼン(1847〜91)という17歳の美少女のピアノ・レッスンを依頼されました。
優秀な生徒でしたが、なぜかブラームスは師弟関係を短期間で打ち切り、友人のエプスタインに彼女のレッスンを任せます。
一説には日に日にエリーザベトに惹かれてゆく自分が抑えきれなくなり、彼女から離れることを決断したんだとか。
要するに逃げちゃったわけですか・・・なんでそこで逃げるんやヨハネス?

 

エリーザベトは1868年にハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(1843〜1900)という音楽家と結婚、ライプツィヒに居を定め、ピアニストとして活動します。
1874年にライプツィヒ・ゲバントハウスで「ブラームス週間」が開催され、来賓として招かれたブラームスはヘルツォーゲンベルク夫人となったエリーザベトと再会。
夫のハインリッヒもブラームスの崇拝者であり、夫婦ぐるみの親しい交友が始まります。

ブラームスとヘルツォーゲンベルク夫妻の間ではたくさんの書簡が交わされました。
とくにエリーザベトには自作の楽譜を送って批評を求めたりしてます。
ブラームスのエリーザベトへの信頼ぶりはクララ・シューマンが焼きもちをやくほどだったとか。

夫のハインリッヒも博識かつ確かな才能をもつ作曲家で、「ブラームスの主題による変奏曲」を書くほどのブラームス・ファンでした。
しかしブラームスはエリザベートの誘いにもかかわらずヘルツォーゲンベルクの作品にはほとんど関心を示さなかったそうです。
まあ、夫のほうはどうでもよかったんでしょうね〜、じつに分かりやすい。

音楽評論家の大木正興氏は、ブラームスの女性への態度についてこう述べています。

 「ブラームスの場合には相手が生活形態としての男女関係あるいは縛られた家庭人としての資格を強固に持っていることが不可欠で、
  その面で自分がいささかでも気持ちの動揺や負荷があっては不都合なのであった。
  ヘルツォーゲンベルク夫人としてのエリーザベトのライプツィヒでの幸福な家庭生活は彼の心を全く解放させ、
  彼はなんの不都合も障害も気がかりもなくエリーザベトの心のうちに立ち入ることができたのであった」

なるほど・・・しかしめんどくさい奴ですな。

さて、ハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク、それなりに偉い音楽家でして、
1874年にライプツィヒ・バッハ協会を設立、1885年にはベルリン高等音楽院作曲家教授に就任しています。
番号付きの交響曲は2曲残しています。

交響曲第1番 ハ短調 作品50 (1885)

第1楽章は長〜い序奏を持つ長〜いアレグロで(18分以上!)、あちこちに美しい箇所もありますが、
「ぬるま湯で薄めたブラームス」と言われても仕方がないかも。

 第1楽章
 

緩徐楽章をへて第3楽章は親しみやすいスケルツォ。
そういえばブラームスは交響曲にスケルツォらしいスケルツォを書きませんでした。

 第3楽章
 

フィナーレはハ長調、「能天気なブラームス」って感じでハッピーに曲を閉じます。
どうしてもブラームスと比べてしまいますが、手堅く書かれた、それなりにきちんとした交響曲だと思います。
まあ「きちんとしてるからどうよ」と言われたら返す言葉がなかったりしますが・・・。


交響曲第2番 変ロ長調 作品70 (1890)

第1楽章は序奏はなく牧歌的な第1主題で幕を開け、ず〜っと一貫して牧歌的で平和な世界が続きます。
「のどかやな〜、いやきっとどこかでガラリと雰囲気変わって重厚で悲劇的に・・・」と思いながら聴きましたが最後まで平穏無事でした。

 第1楽章
 

同じく平穏無事な第2楽章アンダンテ・クワジ・アレグレットを経て、第3楽章はユーモラスな舞曲。
スケルツォというには穏やかすぎて、メヌエットのようです。

 第3楽章
 

第4楽章フィナーレも先行楽章と同じくのどかな雰囲気で始まり、
「そのうち盛り上がって波乱万丈の展開になるやろ、なんせフィナーレやからな」と思いながら聴いていると、
ずーっと平和な世界が10分続いて終わります。

 第4楽章
 

最初は「ドイツロマン派の交響曲がこんなにのどかでええのか!」と思ったのですが、
しだいに、「こういうのもありなんかなあ」という気になってきます。
「苦悩を経て歓喜へ」とか「自由なれど孤独に」といった辛気臭いスローガンとは無縁、「みんなで楽しくやりましょー!」「人生って素敵!」な世界。

ヘルツォーゲンベルク、妻に恵まれ、地位・仕事に恵まれ、交遊関係に恵まれ、幸福な人生を歩んだ人のようです。
それだけに最愛の妻が1891年に44歳で亡くなってからは悲しみ苦悩したようですが・・・。

悲劇的成分不足のせいか「深みがない」と言われそうなヘルツォーゲンベルクの交響曲ですが(まあそのとおりなんですけど)、
独欧系管弦楽曲がお好きな方なら一度は聴いてみて損はないのではないかと。

(2023.09.18.)

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