パーシー・グレインジャー/パワー・オブ・ラヴ(管弦楽作品集)
(キース・ブライオン指揮 スロバキア放送交響楽団 1996録音)



Amazon.co.jp : The Power of Love

Tower@jp : The Power of Love


親分:オーストラリアで生まれ、アメリカで没した作曲家パーシー・グレインジャー(Percy Grainger , 1882〜1961)。

ガラッ八:へえー、ゴレンジャーって作曲もしたんですか?

 

親分:・・・突っ込む気も萎えるレベルのボケだ〜、助けてくれ。

ガラッ八:だってあっし、グレインジャーなんて作曲家、聞いたことないんジャー。

親分:吹奏楽では有名なんだが、一般のクラシック・ファンにはなじみがないかも知れんな。

ガラッ八:ブラバン畑の人なんで?

親分:アメリカ軍楽隊に入隊していたこともあり吹奏楽作品は多いが、管弦楽曲やピアノ曲、歌曲もたくさんある。
  ただし、交響曲・協奏曲・ソナタといった既成のジャンルを嫌い、詩的なタイトルのついた小品をたくさん作った。

ガラッ八:それがあまり知られていない理由かもしれませんね〜。

親分:パーシー・グレインジャーはオーストラリアの有名な建築家を父に持ち、幼い頃から音楽の才能を発揮、13歳で母と共に欧州に渡り本格的に音楽を学ぶ。
  ブゾーニが彼のピアノの腕前に感心し、無償で指導したいと申し出たというエピソードがある。
  またグリーグには強く影響され、彼がノルウェーでやったように、イギリス各地を回って民謡を蒐集し編纂・編曲した。

ガラッ八:へえー、オーストラリア人がイギリス民謡の研究を。

親分:その一方で、女性のブラジャーのデザインを手がけたりしている。

ガラッ八:なんですかそれは! 

親分:第一次世界大戦が始まるとアメリカに移住、精力的に音楽活動を行うとともに、ニューヨーク大学音楽学部の学部長を務めるなどした。
  オーストラリアが生んだ最大の作曲家であり、母国オーストラリアのメルボルンにはグレインジャー記念館もある。

ガラッ八:ほう、偉い人なんですね。

親分:同時にかなりアブナイ人だったらしい。
  父親のジョンは優れた建築家だったけれど、アルコール中毒になり、梅毒にも感染してしまった。
  母・ローズは自分も梅毒に感染していることを知り、息子に触れることができなくなった。
  それでも息子を夫のような人間にしないため、しっかり教育する必要があると考えた彼女は鞭を使った。
  ピアノの練習でも鞭が使われたし、酔って言い寄ってくる夫に対してもふるわれたそうだ。

ガラッ八:ひえ〜、まるで猛獣使いでやんす。

親分:結果、彼は重度のマザコンになってしまった。
  演奏旅行、交友関係、生活全般すべて母親が取り仕切り、その様子は周囲からも異常に見えたらしい。
  同時にサディストでマゾヒストになった。 とくに鞭に対して異常な執着を示したそうだ。

ガラッ八:ぶ、ぶたないで、怖いです〜〜。

親分:母親は梅毒の病状悪化を苦にしてか、息子との近親相姦の噂を気に病んでか、1922年にビルの8階から投身自殺。
  グレインジャーは生涯、その悲しみと悔恨から逃れられなかったそうだ。

ガラッ八:あっしの得意のボケも麻痺する壮絶さでやんす。

親分:彼が恋人に書いた手紙が凄い。

  ぼくは提案します。子どもたちが成長して、いろいろな物事の意味を理解するようになるまでは、彼らを鞭で打たないことを。
 そのときが来たら、かれらにこう言うのです。

 あのね、きみたちにお願いがあるんだ。父さんはきみたちを鞭で打ちたい、なぜならそうすると、父さんはものすごく気持ちよくなるからだ。
 なぜだかわからないけど
そうなんだよ。三度の食事よりも嬉しいんだ。もちろん、きみたちがいやな思いをするのは承知している。
 でも、そのあとで、父さんはきみたちにとりわけ優しくするよ。

 父さんは一生懸命働いて、きみたちを自由に生活させてきた。だからきみたちの幼年時代は、いま現在、ふつうの子どもより楽しいばかりでなく、
 この先ずっとそれが続く
かもしれない。いいかい、父さんは優しくて、お人好しで、礼儀正しく、面倒見もいい。
 だから一つぐらいお願いを聞いてくれてもいいじゃないか、鞭で打たせてくれよ。

 なぜなら、ただそれだけが、説明しがたいひじょうな喜びを父さんに与えてくれるのだから、と。
 子どもたちは、ぼくにそうさせてくれると思いますか?


ガラッ八:この人、完全に壊れてるでやんす・・・。

親分:結婚はしたが幸か不幸か子供を持つことは無かった。
  さてそんな人の書く音楽は、さぞかし暗くて耽美的で虚無的で不協和でドロドロで・・・・かと思ったらこれがなんと。

ガラッ八:違うんですかい。

親分:親しみやすくて素朴というか快活というか能天気というか天真爛漫というか・・・・・。
  イギリス民謡の編曲もたくさん残していて、とくに「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」の弦楽合奏への編曲は名アレンジとして現在もBBCプロムスの定番曲。
 
 

ガラッ八:綺麗でやんす〜、心が洗われるでやんす〜。

親分:このCDは、グレインジャーの管弦楽曲を集めたアルバムだが、優しく楽天的で、どこか郷愁を誘う作品のオンパレード。
  "Colonial Song"(植民地風の歌)の懐かしくも優しい響きはどうだ。

 

ガラッ八:音楽からは、まったく屈折したところが感じられないでやんす、不思議ですね〜。

親分:軽妙でユーモラスな"Green Bushes"の自由気ままな感じ、これ好きだなあ。

 

ガラッ八:楽しい曲でやんす。 じつはそんなにアブナイ人じゃなかったのかもしれませんね〜。

親分:グレインジャーは1961年に78歳で亡くなるが、遺言書には、
  自分が死んだら遺体を骨格標本にしてメルボルンのグレインジャー記念館に展示してほしいと書かれていたという。  ・・・もちろん、実現はしなかった。

ガラッ八:やっぱりトンデモなくぶっ飛んでるでやんす! どういう発想なんですか。

親分:指揮者のジョン・エリオット・ガーディナーは若いころグレインジャーに会ったことがあるらしい(彼の大伯父が知り合いだった)。

 「グレインジャーは、全身バスタオルで作った衣装をまとっていて、バスタオルのターバンまで巻いていた。
 大伯父が静かに威厳をもって歩くのに対し、グレインジャーはスキップをして跳ねまわっていた。そのときすでに67歳になっていたはずだ。」(ガーディナーの回想)

ガラッ八:つ、ついていけません〜〜。

親分:そうかい、俺はむしろ惹かれるけどなあ。
  心に深い闇を抱えながら、快活で優しい音楽を書き続けたグレインジャー。 底の知れない、不思議な魅力があるよ・・・。

(2017.11.25.)

「音楽の感想小屋」へ

「更新履歴」へ

HOMEへ