イレーヌ・ネミロフスキー/フランス組曲(1940〜42)
(野崎歓・平岡敦 訳 白水社 2012年)



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<ストーリー>
一九四〇年六月、ドイツ軍の侵攻により、パリの人々は大挙して南へと避難した・・・。
フランス近代史上、最大の屈辱として記憶される「大脱出」(エクソダス)を舞台に、
様々な階級の人間模様を怜悧かつ重層的に描ききった第一部「六月の嵐」
ドイツ占領下のブルゴーニュの田舎町を舞台に、出征した夫の留守を守る若妻と、
かつて音楽家を志したドイツ軍の青年将校との淡く純粋な心の交流を描く第二部「ドルチェ」
著者の悲劇的な死のため未完に終わった、精緻で壮大な群像ドラマ。



「なんで未完なんだよ!」

読み終えた瞬間、思わず叫びそうになりました。
数多くの登場人物が織り成す壮麗で緻密なタペストリーが、最高級の小説技巧を駆使して、読者の心を翻弄します。

 イレーヌ・ネミロフスキー(1903〜1942)
  キエフ生まれのユダヤ人。ロシア革命後に一家でパリに移住、1930年代からつぎつぎに小説を発表、人気作家となる。
  第二次世界大戦勃発後、夫・二人の娘とともにブルゴーニュに疎開するが
  ユダヤ人であることを理由に1942年7月13日、フランス憲兵によって逮捕・連行された。
  (42年8月にアウシュビッツで死亡したことが、戦後に判明)

  夫のミシェルもほどなく逮捕され、同じ運命をたどるが、
  彼は別れ際、十二歳の長女ドニーズに小型のトランクを託した――「決して手放してはいけないよ、この中にはお母さんのノートが入っているのだから」
  憲兵の追跡をかわして逃げのびる日々、ドニーズは子どもにとっては重いトランクを懸命に運び続けた。
  ドニーズはそれを母のプライベートな日記だと考えていたが、辛くて読むことはできなかった。
  しかしそれは、イレーヌ・ネミロフスキーが恐怖と不安におそわれながら、それを振り払うようにして書きつづけた未完の長編小説だった。
  この作品「フランス組曲」は2004年、一冊の本として出版されるやセンセーションを巻き起こし、
  フランスで七十万部、全米で百万部、世界でおよそ三五〇万部の売上げを記録中。


・・・大長編ですが、翻訳ものにありがちな、もって回った表現が少なく、読みやすいです。
文章は流麗で無駄がなく、登場人物の多さにかかわらず混乱なく読み進められます。
著者のイレーヌ・ネミロフスキー、じつにクレヴァーな人であったのですね。
もちろん、明快な翻訳文のおかげも大です。

戦争に翻弄される時代と人々を描く大長編、いくらでも感傷的・扇情的な書き方ができるところを、
著者は落ち着いた筆致で、人間たちの行動と内面をくっきり浮き彫りにします。
どの人物にも深みとリアリティーがあり、ドイツ兵でさえ人間として共感を持って描いているところは泣けてきます。
これが1940年から42年にかけて書かれたことは驚異的。
戦争の渦中にあり、身の危険におびえながら、この冷静で高貴な筆致・・・イレーヌ・ネミロフスキー、なんという強靭な魂の持ち主でしょう。

本作が奇跡的に生き延び、出版された経緯は超ドラマティックですが、
それを差し引いても第一級の傑作長編小説であり、一気に読み終えてしまいました。

付録として収録された「著者のノート」によると、
本作は各部の登場人物が、ときに密接に、ときにさりげなくリンクしながら全5部(イレーヌは「5楽章」という言い方をしています)で完成する予定でした。
イレーヌは第二部を完成した直後に逮捕されてしまったのですが、
第三部「捕囚」の構想は、彼女の頭の中ではかなりのところまで練られていたようです。
書かれることのなかった続きに思いと想像を馳せずにはいられません。

(2013.4.16.)

「いったいこの国は私をどうするつもりだろう。国が私を拒絶するなら、こちらは国を平然と観察し、その名誉と生命が失われていくのを眺めていよう。
それにほかの国々が私にとって何だろう。すべての帝国は滅びる。ただそれだけの話だ。
それを神秘的な観点から眺めようが、個人的な観点から眺めようが、結局は同じこと。冷静さを保とう。心を強く持とう。じっと待とう。」

(著者のノートから)



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