モートン・フェルドマン/ピアノと弦楽四重奏(1985)
(高橋アキ:ピアノ クロノス・カルテット 1991録音)



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2021年11月。
新型コロナウイルスの流行も下火になってきたので、うどん県から飛び出して大阪に住んでいる娘たちに夫婦で会いに行ってきました。
私は四国島から出るのはほぼ1年ぶり、海を渡るのも、新幹線に乗るのも、都会の雑踏に揉まれるのも新鮮で物珍しく、おのぼりさん気分を満喫しました。
ホテルのカードキーの使い方も複雑怪奇で、妻ともどもオタオタしました。
最近はチェックアウトも機械にカードキーを入れて自分でやるんですね。
娘たちは都会のジャングルで独り立ちし、たくましく生き抜いておりました。
もう猫の森じゃなかった、うどん県には帰ってこないんだなあ。
今日戻ってきましたが、久々の大都会に興奮して放心状態です、今晩夜泣きしそう(←子供か)。

気分を鎮めようと抑えめのボリュームで流しているのが、

 モートン・フェルドマン/ピアノと弦楽四重奏(1985)

 

浮遊する静謐の作曲家モートン・フェルドマン(1926〜87)の作品としてはごく短めで、ほんの80分程度

普通の作曲家なら「ピアノと弦楽四重奏のためのなんとかかんとか」と名付けるところ、「ピアノと弦楽四重奏」
それ曲名じゃなくて楽器編成やん! と突っ込まずにはいられません。

ピアノの短いアルペジオに弦楽四重奏の和音が応答、それが延々続きます。
メロディはなく、テンポの変化もありませんが、同じことをやってるようで、ゆっくりとたゆたい、うつろってゆきます。
浮遊する雲に二度と同じ形がないように、微妙に変わってゆく響きの姿は意外なほど変幻して多彩な色合いを魅せます。
ブライアン・イーノの環境音楽に似ていますが、環境音楽が積極的に聴取されないことを意図しているのに対し、
フェルドマンの作品はデリケートな音のたたずまいに聴く者の耳がそば立ち、研ぎ済まされてゆく感覚があります。
夜泣きしそうです(←逆効果やん!)。

それでいて聴き手との間に、ちょっと引いたような不思議な距離感のあるところが魅力でもあります。
ピアノと弦楽四重奏は基本的に合奏はせず、別々の立場から対話というか禅問答を交わしているよう。
「ピアノ五重奏」ではなく「ピアノと弦楽四重奏」であるゆえんか。
しっかり聴けば心で座禅を組んだようなもの、悟りが開けるかもしれませんよ〜(適当)。

しかし演奏者は大変だろうな、演奏中に眠くならないんだろうか。
この作品は高橋アキのピアノとクロノス・カルテットのために書かれたそうで、このCDは決定盤と言えます。

(2021.11.22.)

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